2009年03月03日

明日、校了

禁酒六日目ともなると集中力が養われ、仕事以外はやる気がなくなった。体調万全、不快指数ゼロ。昨日は朝10時から夜11時まで会社から一歩も出ずにぶっ続けで編集していたので、最後まで進行が遅れていた「バッハ特集」16ページが一気に片づいた。
競輪をして、酒を飲んで、あたたかい家庭があって、なんていうのが理想だが、そんなの無理だ。
仕事をしていれば、酔っ払ってばかりはいられないし、サラリーマンが競輪ばかりしていてはすぐに生活が破綻する。
無理だからこそ憧れて、そういう作家の書くものが読みたくなる。
一生懸命酒を飲めば、服は買えないし、車もバイクも持てないし、旅行も行けないけれど、服以外はなくてもいい。
競輪も1レースに6万円は入れたいので、月に一度勝負するのがやっとで、しかもここ3年一つも当たらない。
かといって酒と競輪をやめると楽しみがなくなる。
仕事と遊びのバランスが大事だと思います。
借金はしない主義なので、遊ぶ時には持っているお金を全部パッと使って、それがなくなったら次の給料日までジッとしている。
この時代、雑誌編集をできる喜びを味わいながら酒を飲まずに家と会社を往復している。それはそれで寝起きがよく、朝飯はうまいし、電車で本が読めるので快適だ。
3月17日発売号「城と桜」特集号は明日校了です。二日酔いの気持ちなんてもうすっかり忘れてしまったので、校了後もこのまま飲まないつもりでいます。(美濃)

2009年03月02日

介護日記2

久しぶりに会った祖母は坊主頭にされていて、私に「どちらさまですか?」と聞いた。おしゃれで小奇麗にしていた人だったのでかわいそうに思えた。
「隣にいる人はだーれ?」とも言ったが、たぶん私の姿から母を連想していたのだと思う。祖母は「ここは痒いからやだよ」と言った。
できるだけ毎日、祖母の病院に通い、おいしそうなケーキを一つ食べさせ、体を拭いたが祖母が私を思い出すことはなく、病院に入る前に一緒に暮らしていた他の孫の名前を呼んだりした。
ケーキをおいしそうに食べる祖母だったが、たまに「このケーキ、もう一つ、大きいおばあちゃんにも買ってきてもらおうかな?」と20年前に死んだ自分のお母さんを気遣っていた。
病院に通い始めて30日目ぐらいの時だった。私が祖母のベットの横の洗面台でタオルをゆすいでいると、突然、祖母が私の名前を呼んだ。
びっくりして祖母を振り返ると、「お母さん元気?」というようなことを聞いてきたが、私は答えることができなかった。
「俺のことわかるの?」「そりゃあ、わかるさ、孫だもの。あんた、私に何か隠してるんだね?」
祖母は私の母のことを思い出しているようで、私の目をじっと見たが、私は目をそらして下を向いた。
祖母が私のことを思い出したのはその日だけだったが久しぶりに楽しく話をすることができた。祖母と私は元々仲がよかった。
祖母の病院には100人以上の寝たきりの老人がいたように見えた。面会名簿があったが、二日連続で行くと、私の名前が続くこともあった。
祖母はその後、一年ほどしてから死んだ。介護は本当に面倒くさくて、悲しくて、辛いものだけれど、だった一日だけでもそんな日があったことは嬉しいことだった。(美濃)

2009年03月01日

介護日記

ステッキ先生・坂崎重盛さんも連載しているサイト「そら飛ぶ庭」が面白い。
中でも元マガジンハウスの編集者で『鳩よ!』の編集長だった大島一洋さんの介護日記が面白い。
大島さんはお母さんの介護をし、普段は「あんた誰や?」と認知症になってしまったお母さんに言われるていたのに、亡くなる間際に「一洋はどこや?」と名前を思い出され、ずっとからかわれていたのか? と思う。
お父さんの介護をしている時には交通事故に会い、「くそー、俺は今、絶対に入院できない身なんだぞ。誰だこんなことしやがって」と叫び、お父さんと同じ病院に入院したりする。
3月17日発売号の『パンチ』で大島さんは萩原朔美さんの『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』(新潮社)の書評を書いてくれた。書評を書いてくれたのは二度目だが、いつも丁寧に本を読んでくれ、人生経験豊富で読書家ならではの書評を書いてくれている。
介護日記を見ると、今でも大島さんは毎晩のようにお酒を飲んでいるようだが、あの酒の味、私にも少しだけわかる。
私の母が死に、遺品を整理していると日記が出てきた。
日記には私への悪口(酒)と感謝(食事)が書かれていたが、母の母、すなわち私の祖母についての記述が多かった。
母は最後の入院の数日前まで、認知症で寝たきりの祖母が入院する病院へ通っていた。
母の日記はほとんどが自分の病状と祖母の介護日記だった。自分が病気で祖母を引き取ることができないもどかしさが綴られていた。
日記を読み終え、私は祖母の病院へ向かった。つづく。(美濃)

2009年02月28日

人類

バッハ・ページ最終仕上げのために小学館版『バッハ』全集編集長・大原哲夫さんの事務所へ。
さすが大原さん、締めるところは締める。
真顔でゲラをにらみつけながら、最終のみだしとリードとキャプションを考える。私は黙って大原さんのひらめきを待った。
突然大原さんが、テーブルの上をバンッ! と叩いたので、
「いいの思いつきましたか?」「いやいや、まだまだ」
再びゲラに目を落とす大原さん。
向かい合わせに座り、コーヒーを飲みながらじっと待っていると、また、バンッ! とゲラを叩くので、
「ひらめきましたか?」「いやいや」
大原さんが突然立ち上がり、今度は壁を手のひらでバシンッ! と叩くので、
「何か重大なミスでもありましたか?」「さっきからちっこい虫がいるんだよ!」
私には見えない。
「バッハの音楽は神が人類に与えてくれた最高の音楽なんだ」と大原さんから教わったので、「大原さんにしか見えない虫ですね、私には見えません。神の使いでしょうか?」「ショウジョウバエだよ」
それからも大原さんは私と話をしながらも突然パンパン手を合わせたり、自分の顔をひっぱたいていた。
「僕には猫の言葉がわかるんだよ」と言う大原さんだが、『ホワッツ・マイケル』みたいだった。みだしやリードは一つも浮かんでこなかった。(美濃)

2009年02月24日

わかってねえな

最初の就職先は飲食業だった。ほぼ24時間営業の店で、一日中働き、寮生活だった。
仕事はきつくて、朝の勤務は広い店内でウエイターも調理も私一人だった。
私に向かない仕事だったが、親に勘当されて始めた寮生活では帰るところがないので、生まれて初めて貯金をした。
店長は私より三つ年上で、世間を知らない子供だった。
シフトを組む店長はいつも早番で私は遅番だった。
店長の奥さんがヒステリックで、店に何度も電話をかけてくるような人で、本当に迷惑だった。
店長は朝6時に出勤して夕方6時ぐらいに帰っていったが、私はいつも昼12時に出勤して翌朝まで働き、タイムカードもない会社だった。給料は手取りで16万円ぐらいだったと思う。
奥さんが大騒ぎの日は店長は店にこない。代わりに私がそのまま朝から勤務し、24時間以上店から出られないこともあった。
昼ぐらいに疲れきった顔で店長が出勤してきた。
私が調理をしながらアルバイトの学生と話をしていると、店長が私を事務室に呼び出した。
お礼を言われるのかと思ったら、机の上の書類を壁に投げつけ、
「仕事中に女としゃべってんじゃねえ!」
と怒り出し、「仕事なめてんのか!」と怒鳴ったが、(それはお前だ)と思った。
半年で少しお金が貯まったので、中板橋に家賃3万円のアパートを借り、やっとのことで店から逃げ出した。
辞める時、営業部長に理由を聞かれ、「編集者になりたい」と言った。
「俺はこれまでたくさんの人を見てきたけど、お前はそんなタイプじゃないよ。なれないよ」
と言われ、(大きなお世話だ)と思った。
仕事に行くのが嫌で嫌でたまらない毎日だったが、今年は元旦から出社した。(美濃)

2009年02月23日

『パンチ』編集部の朝

家で起きる場合、6時半に起きている。風呂を沸かし、歯と靴を磨いて、洗濯をして、スポーツ報知で競輪の予想をして、冬は寒いから味噌汁を作って(長ねぎのみ)納豆をこねて(長ねぎのみ)、10時に遅刻しないように家を出る。
『パンチ』編集部はみんな遅刻しないのでご機嫌だ。朝イチで取材がある人以外は朝10までに全員集合して、即仕事にとりかかっている。
デザイナーさんも三人編集部に通ってくれているが12時に毎日やってきてくれるので、遅くても夜7時には仕事が一段落つき、みんなそれぞれ自由に散らばることができる。
以前いた編集部は最悪だった。私が一番の若手だった頃、一番偉い人が午後の3時くらいにやってきて明け方帰っていくような人だったので、私は夕方になっても外に出掛けづらく、毎日終電車まで会社にいてストレスの溜まる毎日だった。
『パンチ』編集部では基本的に10時がら6時まで机で仕事をしているので、もし3時出社なら夜11時までかかる。これじゃあ、飲みに行けない。
毎晩終電で帰っている他社の後輩編集者に何時に出社しているのか聞いてみると、やっぱり2時か3時だった。それじゃあ、遊べないわけだ。
とはいっても二年も毎日遅刻せずに出社するなんて飛鳥新社に入ってからの初めての習慣なのだが、慣れてしまえばこっちのものだ。朝の方が人と連絡を取りやすいし、仕事がはかどる。
おかげで休日も6時半に一度目が覚めるので、午前中からクリーニング屋に出掛けたり、ツタヤに出掛けたり、ブックオフをハシゴしたり、映画を見に行ったりできるようになった。
以前の休日はいつも起きると夕方で、二日酔いで気持ち悪くて何もできなかった。二日酔いであろうが、睡眠不足であろうが、早起きするのは楽しいので、これからもずっと遅刻はしない。
ちなみに新宿のカプセルホテルで目を覚ますのは8時半、編集部ソファは9時59分、どちらも遅刻はしてません。(美濃)

2009年02月21日

ケン玉おじさん

入稿準備中の金耀日だというのに、なかなかバッハ・ページが進まないので、助けを求めて小学館版『バッハ全集』編集長・大原哲夫さんの携帯に電話する。
「そろそろ仕上げ作業にかかりたいのですがなかなか進みません。ご協力お願いできますか? かなり焦ってきています」「あ~、いいですよ、事務所にいらっしゃい~」
大原さんは散歩の最中のようで、電話の向こうから豆腐屋さんのラッパの音色が流れていた。なぜ、あの人だけ、いつもあんなにのどかな時間が流れているのだろう。この前、夜に電話した時はチャルメラの音色が流れていた。
資料を持って走って大原事務所へ。
「そろそろ仕上げ作業にかからないと間に合いません、ご協力お願いします」「よしっ! わかっった。パッパッとやっちゃおう。まずはコーヒーを入れなさい」
コーヒーを飲み始めると大原さんはスケッチブックを取り出して、ご自身が描いた色々なポーズをとった人物の水彩画を私に見せてくれ、解説してくれた。
「上手ですね」「だろう? 個展を開くんだ」「それよりも、そろそろバッハ・ページの使用図版を決めませんか?」「まあまあ、このビスケットおいしいから食べなさい」
このビスケット、たしかにおいしい。コーヒーによく合うので、もう一度お湯を沸かした。
原稿も全然できあがっていないので、ノートにレイアウト・ラフを書きながら相談しようとすると、大原さんは棚からケン玉を持ち出し、軽やかに腰をゆらしながら大技を披露してくれるので、私も挑戦。
「姿勢が悪い! そんなんじゃダメだ! もっと腰を落として」「はい!」
また来週!(美濃)

2009年02月19日

終電車にて

仕事が一段落したので、A君と軽く神保町で飲んでもいいかな、と思っていたのになぜか銀座へ。
A君の奢りで焼酎(1)に新じゃが、ごぼうの漬物、松坂牛とピーマン、おいしかった。割り勘でななはち(2)に寄ったが、翌日の仕事が気になるので盛り上がれず、早めに一人先に店を出る。
駅に向かって歩きながら携帯をチェックすると未登録の番号から着信あり、伝言メーッセージあり。
誰だろう? と思ったらステッキ先生・坂崎重盛さん。1時間前の飲み屋からの電話で、私が前から会いたがっている人といる、ということなので急いでそのお店に折り返してみたが、もうすでに店を後にしていた。
もしかしたら猫目? と思い電話してみたがいない。もう一回かかってくるかもしれないからマチュアパレス(3)で休憩。MG・鈴木啓之さんに会えたので楽しい時間を過ごせた。
終電近くまで連絡を待ったが、残念だった。会いたかった。
翌日の仕事を考えながらビクビクしながら薄い焼酎をチビチビ飲むのはいいことだ。ほろ酔い気分で0時過ぎの電車で家に帰るのはいいことだ。携帯電話を持たない人の連絡を待つなんて久しぶりのことだったが、昔はこれが当たり前で懐かしかった。
帰りの電車で、(最近、自分は何を焦ってるんだろう、明日もあるし、来年もあるし、十年後もあるのに)と思った。(美濃)

2009年02月16日

バッハを聴けば

バッハ・ページのためにバッハ・コレギウム・ジャパン・鈴木雅明さんと大原哲夫さんで対談をしていただいた。「音楽史はバッハを中心に流れているように感じる」「バッハを聴き、ロウソクの火を手にすれば、武器を持つことなんてできない」「バッハは人の心をただしてくれる音楽」、いい話をうかがうことができた。
バッハ・ページのタイトルは「人類が求める音楽、人類を救う音楽」という感じでいきたい。勉強になった。
クラシック音楽は気持ちいい。『パンチ』の編集をやっていなかったら、クラシック音楽を好きになることはできなかった。仕事で新しい世界と出会えるなんて、これだから編集はやめられない。
去年の12月号で初めてモーツァルト特集を担当することになった時、「俺になんかできないよ」と率直に思ったが、大原哲夫さんのアドヴァイスでぐんぐんモーツァルト好きになり、今はどんどんバッハ好きになっている。
キース・ジャレットのバッハ『ゴルトベルク変奏曲』『フランス組曲』、クララ・ハスキルのモーツァルト『ピアノ協奏曲23番』『ピアノソナタ10番』を聴いて機嫌が悪くなる人はいないと思う。
もしも、物心つく前にこれらのCDを聴き慣れ、頭の中に流しておけば、物静かで、明るくて、優しい人に育つように感じる。初めてお会いした鈴木雅明さんもそういった印象の方だった。
これらの曲で辛い日々や孤独な日々を乗り越えた人は多いと思う。クラシック音楽の取材で出会った人たちには哀しみを抱えて生きている方が多かったし、モーツァルト特集の読者ハガキでもそういった感想が多く見られた。
たまに早く帰ってこれらの曲を聴いていると心の中に春風が舞い込み、川にでも飛び込みたい気分になる。
「人はどこかでバッハに出会うんだよ」と大原さんが教えてくれたが、私は『パンチ』でバッハに出会えた。
「人の心をただしてくれる音楽」、いい感じだ。
対談の後、大原さんのバッハ論を聞きながらカレーうどんを食べた。とてもいい話で大変勉強になったが、大原さんのズボンの社会の窓が開いていたのが残念だった。(美濃)

2009年02月14日

会話泥棒

お茶飲み友達のKさんは人の話をすぐに奪う。
私が若者と、「この間、どこ行ったの?」「北海道って居酒屋知ってますか?」と会話を始めたとたん、
「あ、北海道? 知ってる知ってる、二十年前ね……」
と、あっという間に我々の会話を奪ってしまう。
このKさん、知らない話でも会話を奪うことができる。渚ようこさんの話をしていたら、「誰誰? なぎらけんじ?」
と適当なことを言って、なぎら健壱の話に変えてしまうほどのテクニックの持ち主だ。
「知らないんだったら人の話に入ってこないでくださいよ!」
などと注意しようものなら、「なぜ人と話をするのが好きなのか」をテーマに二十分は話が弾む。
事務所の若者が難しい話をしているのに入っていけず、両手を振りながら地団駄を踏んでいるのを見たことがあるが、その姿から「しゃべらせてくれなきゃ死ぬぞ!」というような気迫のようなものが伝わってきた。
Kさんの事務所に遊びに行き誰かと話を始めるとKさんの視線を感じ、確実に会話が奪われる。
先日はコーヒーについて話していたら、あっという間にKさんの奥様の話に会話を変えられ、長長と話を聞かせてくれたが、一言で要約すれば、「しゃべらせてくれなければ女房と別れる」ということだった。
Kさんは歳を取ったら電車の中でも知らない人の会話を奪ってしまうことだろう。将来が楽しみだ。(美濃)

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