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★☆ 第一章 プリンセスとの出会い ☆★

ドキドキしない人生なんてつまらない。でも、ちゃんとあるのだ、ドッキリすることは。 たとえば、ほとんど毎日のように、午前三時頃になると、貨物列車があなたの寝室に向かって驀進(ばくしん)してくるとしたらどうだろう。 ぼくらはそれを「暁(あかつき)のトン走」と呼んでいる。

たいしたことないじゃん、と思う人もいるかもしれない。 でも、体重三百五十キロのブタがどしどしと廊下を突進してくる音にびっくりして目が覚めるのは、やっぱり、たいしたことだし、とんでもないことだと思うのだ。 最初はごく微かな震動ではじまる。それがすぐに低い鳴動をともなってベッドのマットレスをふるわせ、まだ半分眠ったままの意識に割り込んでくる。 次の瞬間、あっと気がついて身を起こし、ベッドにスペースをあける―ぼくの隣りでのんびり寛ぐつもりの巨体の主のために。枕が舞い、人と犬と猫が慌ててわきにどく。 その騒ぎも知らぬげに、ウッドフロアの上を接近してくるひづめの音。一歩進むたびにその音は盛大になる。

ひとたびその音を聞くと頭にしっかと刻み込まれてしまい、それがパブロフの犬のような条件反射を引き起こす (この反射はもともと犬の実験で確かめられたのだから、わが家の愛犬、ルーベンとシェルビーはどう対応すればいいか、わかっている。愛猫のドロレスとフィネガンはそのときの気分しだいだ)。 地響きのような音と共に、家が文字通り震動する―ときには家具の一つ二つが倒れたりする。もう、すぐそこまできたことが、ひしひしと伝わる。でも、もはやどうすることもできない。

次の瞬間、ぼくらの可愛いプリンセスが部屋に飛び込んでくる。たぶん、夜の怪しい物音にびっくりしたのだ。 プリンセスはぼくらのベッドに飛び乗ってくる―まさしくぼくらの人生に飛び乗ってきたように。ぼくらは大わらわでスペースをあけてやるのだが、 それは同時に何物にも換えがたい、素晴らしい体験でもある。その体験を、ぼくらはもう手放すつもりはない。

*      *      *

たぶん、ブタの親代わりになるのは、ぼくの運命だったのだ。ぼくは昔から動物好きだった。 こんなことは言いたくないが、もし罠にかかっている犬と、罠にかかっている人間を同時に見つけたら、ぼくは真っ先に犬を助けてしまうような気がする。 か弱い動物には人間の助けが絶対に必要だ。どんな場合であれ動物を保護するのが自分の役目だと、ぼくは思ってきた。

生まれて初めてできた親友も、子供の頃に飼っていたブランディという名の犬だった。 シェパードのミックス犬で、長い真っ直ぐな尻尾(しっぽ)、だらんと垂れた耳、黒みがかった茶色の毛。 もじゃもじゃのごく淡い金髪のぼくとは好対照だった―もちろん、だらんと垂れた耳と尻尾を別にすれば (当時のぼくは、あの人気テレビ・ドラマの主人公、"わんぱくデニス"にそっくりだった。性格までそっくりだと言う人もいるかもしれないが)。 ブランディとぼくは、どこにいくにも一緒だった。ぼくのいくところどこにでも、まるで影みたいにブランディはついてきた―友だちの家にも、公園にも、わが家の部屋から部屋へ移動するときも。

当時のわが家は、カナダのオンタリオ州にあるミシサガにあった。かなり大きな都会だ。 でも、時代がいまとはまるでちがっていた。万事いまよりも単純で、しかも安全だったから、子供たちは気ままに自転車を乗りまわし、暗くなって家に帰る時間がくるまで、あちこちほっつき歩いていたものだ。 まだ家でペットを飼ってもらえなかった頃、六歳のぼくは、近所を探検してペットのいる家を見つけ、ときには勝手に庭に入り込んで、そのペットと友だちになった。"暗くなるまでに家に帰る"というルールを忘れると、両親からこっぴどく叱られた。

その日、ぼくは近所の家のワンコとすっかり仲良しになり、夢中で遊んでいるうちに、坊や、もう暗くなったからお家にお帰り、と飼い主の人に諭されてしまった。 で、仕方なく、じゃ、さよなら、と言って外に出て、その家から遠ざかった。けれども、飼い主の人が家の中にもどるや否や引き返して、そのワンコと遊びつづけたのである。 ああいう年頃のときは、"両親の心配"とか"住居不法侵入"などという些細なことはまったく気にしないものだ。

ところが、"これ、とってこい"のゲームに熱中しているうちに、悪事が露見してしまった。投げた棒切れが勝手にそっぽに飛んでいって、そのお宅の窓に命中してしまったのだ(こういう言い方、投げた当人より棒切れが悪いような言い方に、ぼくの本性が現れてしまう。ワンコは絶対悪者にしたくないという意識がつい働いてしまうのだ、昔も今も)。

窓のカーテンがひらいて、何事ならん、と飼い主のご夫婦が外を覗いたとき、ぼくはその場に直立不動で立っていた。カメレオンのように、庭に溶け込んでしまおうとして。できれば、ニンジャになったほうがよかったのだろう。カメレオン戦術はまったく効果がなかったからだ。もちろん、ぼくの姿は消えるわけもなく、親切な奥さんが外に出てきて、ぼくを家に招き入れてくれた。そこでワンコと遊びなさい、と言ってくれたのだ……家の中なら"とってこい"をして窓を割ったりする心配もないわけだから。 心温まる物語。だと思わない?

ところが、そのお宅の玄関の扉を警官がノックしたとたん、すべては一変してしまう。 そう、事実そうなったのだ。息子が帰らないのでパニックに襲われたぼくの両親にせっつかれて、警官たちが近所の家をしらみつぶしに当たっていたのである(そこまで両親がぼくの身を案じてくれたのはありがたかったけれど)。暗くなってもぼくが帰らないので両親が死ぬほど心配するなんて、ぼくは正直、思いもしなかった。でも、帰宅してからが大変だった。何度もくり返し、その晩寝るまでドヤされつづけたのだから。

しかしである、ぼくの"不法侵入"は結果的には報われたのだった。というのも、その週、両親はぼくにブランディをプレゼントしてくれたのだから……ああいう騒ぎを二度と起こさないように。 あの頃は、両親が遠出をするたびに父方の祖母がぼくのお守りをしてくれるのが慣わしだった。この祖母は、第二次大戦中にスコットランドで育った人だった。頑固者だとは言わないけれど、この祖母がだめだと言ったら何でもだめなことは、ぼくも承知していた。実のところ、ぼくはこの祖母が大好きだった。二人の間には何の問題もなかった。ぼくが祖母になついていたからこそ、両親は安心して留守のあいだ、ぼくを祖母に預けたのだと思う。

ある日、両親が遠出して祖母がわが家を預かっていたとき、ぼくはお隣りの家に遊びにいった。 その日はどういうわけか、ブランディを一緒につれていくのを祖母が許してくれなかった。 ブランディはきっと悲しむだろうと思ったのだが、祖母にたてつくわけにはいかない。仕方なくブランディを置き去りにした。 怒ったような目でぼくを見送るブランディ。それが、生きているブランディを見た最後の瞬間だった。

ぼくはすぐお隣りにいたので、他の子供たちとキャッキャと遊んでいる声がブランディにも聞こえたはずだ。 それでブランディはもう居ても立ってもいられなくなった。どうにかして、ぼくと一緒に遊びたかった。 お隣りとの境のフェンスを跳び越してしまえば、それが可能になる。で、ブランディが思い切ってフェンスを跳び越そうとしたところ、 首輪が支柱に引っかかって、首吊り状態になってしまったのである。

幸い、その瞬間のありさまを、ぼくはこの目で見てはいない。後で、両親に教えられたのだ―それでも、何が起きたのかを知ったときはものすごいショックだった。この本を読んでくださっているのは動物好きの方だろうから、 こういうエピソードは苦手だろうと思う。と同時に、ブランディを家族同然に思っていたぼくにとって、この一件がどんなにつらかったかも、お察しいただけるだろう。

愛するペットが車にはねられた、というような悲劇を味わった方は、大勢いるにちがいない。その苦痛は想像するに余りある。でも、あのときのブランディの死に方は悲惨すぎた。両親から聞いたその光景は、頭にこびりついて離れなかった。 かけがえのないブランディが、ぐったりとフェンスにぶらさがっている―。ぼくと遊びたい一心がそうさせたのだ。たまらなかった。

子供の頃の記憶はだいたい曖昧模糊としているのに、この事件の記憶だけはいまも鮮明に頭に焼きついている。それは、自分が未来永劫失うはずがないと思い込んでいたものを失った悲しみ、生まれて初めて味わう傷心の記憶だ。子供の頃は、愛するペットの寿命が不当に短いことなどあまり意識しない―この子はこの先もずっと一緒にいるものと信じ込んでいる。もしかしたら十四、五年先には別れのときがくるかもしれないと、心のどこかで予感していたとしても、まさか現実のものになるとは考えてもいないはずだ。いまでもブランディのことを思うと、つい涙ぐんでしまう。

子供の頃の記憶を占めているのは、たとえば両親と楽しんだ休暇であったり、近所の湖の周辺を自転車で走りまわった思い出だったりする。それと、そう、あの腕白デニスのようにご近所一帯を探索してまわった思い出とか。そのなかにあってブランディの死は、あの、身のよじれるような悲しみの記憶、あの子をフェンスに飛びつかせてしまったのは自分なんだという思いと一体となって、ある種鋭い喪失感として、いまも自分のなかにある。 あれから数か月というもの、真夜中にハッと目をさましてはブランディの名前を呼んだものだった。そして、あれが悪い夢ではなく事実なのだと覚って、こらえようもなくすすり泣いてしまう。ブランディはまぎれもなく死んでしまった。こちらの不注意のせいで。自分を必要とする動物がいたら、もう決して見捨てまいと固く決意したのはあのときだったと思う。

はっきり言ってしまおう。ぼくは救いがたいほどの動物好きなのだ。そしてそれは、ときに厄介な問題を引き起こしてしまう。

運命を変えた一通のメッセージ

エスターがやってくる前、トロントの、広さ90㎡のわが家には、すでにして男二人、女一人、犬二匹、猫二匹が暮らしていた。平屋のこの家の間取りは3LDKで、ダイニング・キッチンはリビングも兼ねていた。三部屋のうち一部屋はぼくとデレクのもの。もう一部屋はぼくらの友だちのクリスタルのもの。残りの一部屋は、三人が時に応じてそれぞれの必要を満たすオフィスとして共同利用していた。

ぼくは本職の不動産業の打ち合わせ等に使っていたし、プロのマジシャンであるデレクは仕事関連の電話をかけるのに使っていた。クリスタルは学位論文を仕上げる勉強部屋として使っていた。しかも、この部屋の広さときたら、4×3mときているため、クリスタルが望む平穏さはしばしば失われることになった。しばしば失われるということは、ほとんど存在しないということだ。

わが家で一台しかないテレビは、リビングに置いてある。ところがこのリビング、あまりに手狭なため、たまたま三人が同時にテレビを見たくなったときなど、全員が椅子にすわり切れなくなってしまう。それに加えて、二匹の犬がいる。このワンコたちものんびりと椅子で寝そべりたがる―"早いもの勝ち"のルールがある以上、このワンコたちを追い払うのはフェアとは言えない。したがって、たいていは人間のメンバーの一人か二人が―よくてせいぜいクッションを腰に当てて―床にすわることになるのだった。

わが家では洗面室兼トイレも一つきりだから、こういう状況でルームメイト(とか、なお恐ろしいことに、ちっちゃい子供たち)と一緒に暮らした経験のある方なら、どんなに熾烈な競争が展開されるか、おわかりいただけると思う。朝、目をさまして廊下に足音が聞こえたら、すぐにもその足音の主をだしぬこうと、パッとベッドから飛びだす。さもないと、最初に飛びこんだ人物が用を足すまで二十分は待たされることになるからだ。

その"用"の種類によっては、もっと待たされることだってある。それが、こういう狭い家で共同生活をする場合につきものの難題の一つだ。しかも、三人のスケジュールが最悪のかたちで一致してしまうケースもしょっちゅうある。クリスタルが急いで仕事か学校にいかなければならないとか。ぼくが緊急の商談に駆けつけなければならないとか。デレクが急にマジック・ショーに呼ばれるとか。すると、三人が三人とも、一つしかない洗面室に飛びこまなければならない。だれかが必ず急いでいるし、だれかが必ず小用を足したがっている―。

洗面室レースのポール・ポジション争いをしていないとき、こんどは小さなリビング・ダイニングでぶつかってしまう。だから、三人はお互いになんとか残る二人に空間的余裕を与えるよう努力していた。デレクがオフィスにいて、クリスタルが自分の部屋にいるとき、ぼくはたいていラップトップ・パソコンをリビング・ダイニングに持ち込んで使っていた。

*      *      *

ある日、フェイスブックに一通のメッセージが届いたのも、ぼくら三人がそういう戦略配置にあるときだった。メッセージの主は、中学時代に何度かデートしたきり、この十五年間すっかりご無沙汰していた女性だった。

こんちは、スティーヴ。あんたって、超動物好きだったよね。あたし、いまミニ・ブタを飼ってるんだけど、もう一匹のペットのワンコとそりが合わないの。それにあたし、赤んぼを生んだばかりだから、このミニ・ブタ、飼い切れなくなっちゃったんだ。

リビングにいるのはぼく一人。文面を見たとたん、頭がぼうっとしてしまった。思わず周囲を見まわしていたかもしれない。他にもこのディスプレイを見た者がいないか、ぼくのニンマリした顔を見られなかったかと思って。ミニ・ブタだって? あの、育っても小さいままの? 素晴らしいじゃないか。ミニ・ブタを欲しがらないやつなんて、いるだろうか?

あとから振り返ると、たしかに怪しいメッセージだった。なにせ相手は、この十五年間、口もきいたことのない女性なのだ。いい機会だから白状しておこう(どうせ後でわかることなのだし)。ぼくという人間は、いとも簡単に人を信じてしまうたちなのである。ついその場の雰囲気にのせられてしまう。

そのときにしても、"おい、なんだか怪しいぞ、このメッセージ"とは考えなかった。代わりに、ぼくという人間はこういう思考回路をたどってしまう―"へえ、アマンダからだ。よくぞぼくを覚えててくれたな!"。そのメッセージが漂わせる怪しげな匂いになど、まったく気づかない。あのアマンダがぼくにミニ・ブタを提供しようとしてくれている、素晴らしいじゃないか、と、感激してしまった。

写真は添付されていなかった。こちらは当てずっぽうで判断するしかない。でも、写真などなくとも、ぼくはもう舞いあがっていた。"そうだな、ちょっと調べてから返事をするよ"とは答えたものの、自分の気持ちが動いているのはもうわかっていた―問題は、どうやってそれを実現させるか、だった。

たとえミニ・ブタだろうと、ブタを一匹、わが家に引きとるとなると大ごとだ。わが家にはぼくのパートナー、デレクがいる。それから、クリスタルという女性のルームメイトも。何匹か、他のペットたちも。それに加えて、つい数か月前、ぼくはデレクに無断で新しい猫を引きとってしまったという前科もある。お察しの通り、一件落着するまでは大変だった(悪いのは完全にぼくなのだから)。

そう、この件はごく慎重に進めるに限る。ぼくがデレクに無断で何かこそこそやろうとしている、という風には見えないようにしなければ。もちろん、これはだれが見たって、ぼくがデレクに百パーセント無断で、こそこそやろうとしていることなのだけれど。とにかく、肝心なのは、ぼくが好きこのんで、積極的に動いたわけではない、というふうに見せかけること。たとえば、このブタがその……気がついたらそこにいて、とか。 気がついたら、ブタがそこに? おいおい。

数時間後、アマンダからまたメッセージが届いた―――――

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