Interview-3

ニコラ・ド・クレシー インタビュー 3

2008年3月6日、東京の日仏学院でのトークイベントより。このインタビューは、「ユーロマンガ」1号に掲載されたものです。

グラフィックの愉しみ

2008年3月6日に東京の日仏学院で「ニコラ・ド・クレシーを囲んで」というイベントが行なわれた。この中から細萱敦氏とのトーク部分、とりわけ『天空のビバンドム』と既に日本に紹介されている他の作品に関する部分を抜き出してお届けする。ド・クレシーのグラフィックに対するこだわりをわずかでも感じていただければ何よりである。残りはきっと言葉ではなく、彼の絵が説明をしてくれるはずだ。

※イベント開催時の作者表記は「ニコラ・ドゥ・クレシー」であったが、日本語の慣用に習って、 ここでは「ニコラ・ド・クレシー」としたことを断っておく。

細萱
「フランスコミック・アート展」では、ド・クレシーさんの作品も紹介しました。ド・クレシーさんの作品の魅力を考えた場合、まずそのキャラクターの面白さということが挙げられます。作品を読んでみると、例えば、『フォリガット』や『天空のビバンドム』など、丸々と太ったキャラクターが最終的にひどい目にあうという話が多い。それ以外でも、『ミスター・フルーツ』や『ある幽霊の日記』といった作品に太ったキャラクターが登場しますね。実際のところ、ド・クレシーさんは太ったキャラクターがお好きなんですか?
ド・クレシー
ああ、それは初めて気づきましたね。太ったキャラクターを描くと、他に絵を描かなければいけないスペースが減るので、太ったキャラクターが好きなんじゃないかな(笑)。『フォリガット』については、オペラのカストラート(註:声変わりを避けるために去勢をほどこされ、人為的にボーイ・ソプラノの声域を保つように仕向けられた男性歌手。小太りになりやすい)の話で、物語の設定上、主役は太ったキャラクターになっています。『ミスター・フルーツ』は、スーパー・マンのカリカチュアで、スーパー・ヒーローの戯画として、太った造形を選択したんですね。
細萱
一方で、これは悪役に多いのかもしれませんが、非常に細い人物や動物を象ったキャラクターも登場しますね。『天空のビバンドム』には、何人もの人物が集まってできたキャラクターも登場するようですが?
ド・クレシー
市長のことでしょう。市長は彼に投票する有権者の複合体として描かれています。複数の有権者の体が寄り集まって彼の体を構成しているんですね。絵の形態が登場人物を規定していて、赤い線だとか太った人物だとか、グラフィックそのものが物語の意味を決定しているのです。
細萱
ド・クレシーさんの作品は、キャラクターも面白いのですが、背景となる都市や国が見事に描かれていて感銘を受けます。『天空のビバンドム』の舞台になるのは「ニューヨーク=シュル=ロワール」という都市で、そこには摩天楼があり、港町があり、大きな船が停泊し、自動車、列車まである。まるで1930年代のニューヨークです。さらに『ニューヨーク=シュル=ロワール』という画集まで出版している。その時代のニューヨークに何か思い入れがあるんですか?
ド・クレシー
ニューヨークを訪れたことはありません。でも、常に魅惑を感じてきました。シカゴもそうですが、ネオ・ゴシックとでも言うべき、ヨーロッパとアメリカの建築の混合体で、グラフィック的に非常に豊かなものを持っています。私はベレニス・アボットという1930年代のニューヨークを写真に収めた写真家が好きで、そこから多くの着想を得ているんです。自然や写真をもとにずいぶんとたくさん建築物を描いてきました。そのせいで、私自身、建築について非常に多くのボキャブラリーを持っているんです。「ニューヨーク=シュル=ロワール」というのは、フランスとアメリカの都市を混合して作った想像上の都市なんですね。
細萱
この本は想像上の都市のスケッチ集であると同時に、グラフィックの実験の場でもあるのではないですか? あなたの作品の背後には西洋絵画の伝統があるように感じられます。(『ニューヨーク=シュル=ロワール』に収められた1枚の絵を指しながら)例えば、この絵など、オノレ・ドーミエに近い印象を受けますね。
ド・クレシー
実際、ジェイムズ・アンソールやジョージ・グロスといった画家の影響を受けています。私のBDはただ単に物語を語るものではなく、一作ごとに絵画的な可能性を追求したものです。自分のスタイルを更新していく上で、こうした画家たちの作風の発展を参考にしている部分はありますね。
細萱
ド・クレシーさんは昔から今にいたるまで多様な技法を用いていらっしゃいますよね。その移り変わりをお話しいただけませんか?
ド・クレシー
最初のアルバムはかなり完成度の高いもので、作るのに三、四年かかっています。影響を受けた画家たちのコピーをしたつもりはありませんが、その残響に満ちた作品と言えるでしょう。その出来には非常に満足しているのですが、ただ、描き込みが多い作品であるのも事実で、その後は、語り方を工夫して、もっと読みやすい作品を描くようになります。
細萱
ド・クレシー
雑誌の編集長から要請があり、テクストなしで作品を作るという試みに惹かれ、15ページのサイレント作品を描くことになったのです。BDと日本のマンガの間に、シークェンスの作り方や省略の考え方の点で大きな違いがあるので、その部分については配慮しました。映画的な発想で作品を作ったつもりです。
細萱
『MANGA FEVER』は日韓共催のワールド・カップを記念して出版されたものですが、覚えていますか?
ド・クレシー
もちろん。ただ、これを見ると、いかに私がサッカーに関心を持っていないかがわかってしまいますね(笑)。
細萱
これらの本の延長上にあるのが、『JAPON』ですね。これは日仏の作家交流として企画されたもので、フランスの作家が日本各地に滞在し、滞在地に由来する作品を描いています。あなたは名古屋に滞在し、「新しき神々」という作品を描いていたんですね?
ド・クレシー
一週間ほど名古屋に滞在し、この作品を描きました。この時初めて日本に来たのですが、たった一週間でその土地のことを知るのは不可能なので、生成途中にあるフランスのとあるキャラクターが日本を訪れ、日本のキャラクターたちからそのあり方を学ぶという物語を構想したんです。
細萱
これはページ数の限られた短い作品ですが、これをもとにして作ったのが『ある幽霊の日記』ということでいいのでしょうか?
ド・クレシー
この短い作品をもとにして、長編を描くためのアイディアがいろいろと浮かんできたんです。この本は生成途中にあるキャラクターを通じて「絵」を語る物語です。日本に滞在した生成途中のキャラクターは、帰りの飛行機の中で、作者である私と出会うことになります。私はブラジルへの旅行を終えた帰りで、彼にブラジルでの経験を話すことになる。この本は二つの異なる国の考察でもあり、本の前後半がそれぞれの国に費やされています。描き方もそれぞれの部分で異なっているのが特徴ですね。

ド・クレシーのこだわりを感じていただけただろうか?

「グラフィックそのものが物語の意味を決定している」という日本のマンガとは異なるBDの作劇術を楽しもうではないか。ド・クレシー本人が「この本でぼくはやりたかったこと、自分に課したことをぜんぶやってのけたと思っている」(Hugues Dayez, La Nouvelle Bande Dessinée, Niffle, 2002)と言う自信作がこの『天空のビバンドム』である。ここに訳したのは第一巻の半分だが、今後第三巻まですべてが訳される予定である。本邦初紹介のド・クレシー長編作品をどうか存分に堪能していただきたい。なお、トークの最後で触れられている『ある幽霊の日記』は、その冒頭およそ五分の一ほどが「新しき神々」というタイトルで『JAPON』(飛鳥新社)に収められている。まだ読んでいないという方はこの機会に手にとってみてはいかがだろうか。そして、いつの日かこの傑作のすべてが日本語で読めるという期待を胸に、今はうずうずした気持ちで待つこととしよう。


細萱敦:
東京工芸大学マンガ学科准教授。2006年まで川崎市市民ミュージアム学芸員を務める。「フランスコミック・アート展」(2003年)、「スイスコミック・アート展」(2005年)をはじめとして、海外マンガの紹介に尽力。日本マンガの海外紹介にも貢献している。

(「ニコラ・ド・クレシーを囲んで」の同時通訳:津田 潤子,福崎 裕子)

インタビュー終わり

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