小林系 綿貫透インタビュー

Interview3 ~『notebook』の出版に際して~

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『notebook』を見ていると、あんまり、らくがきっぽくないですね。
綿貫
そうなんですよ。どう考えても、「一冊を仕上げる」という意識だと思うんですよね。正直、俺はこういうの、見たことなかったんですから。勉強とかじゃなくて、自分が飽きないっていうことも入っているんでしょうけど、モチーフとかレイアウトとか、クセはあるんですけど、意外とサービス精神があって、見ている方もバリエーションを楽しめるんです。
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冊数を重ねるとだいぶ…。
綿貫
タッチも慣れてきていますね。
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例えば、いろいろらくがき帳があるけれど、このらくがき帳に描く時はちょっと気分が違うとか、そういう感覚はありました?
小林
そうですね。後半に行くに従って、絵を描く時間が限られていったこともあって、『notebook』にしかフリーな絵を描かなくなったりとか。偏った分、意識が強くなっているのかもしれないです。一冊目の時は、クロッキー帳もやって、一枚絵も描いてって、分散していた状態だったから。
綿貫
『notebook』にはこれを描くっていうのが明確になってきたのかもしれないですね。
小林
大事なものにはなってきたと思います。
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それは自由に描くものとして?
綿貫
そういう意味では「作品」であるという意識はどう考えてもあると思う。作品の定義はちょっと置いておいて。意外と出だしの頃からですが、意識が強いなと思っていたんです。クロッキー帳とはちょっと違って。そういう意味では誰かに…俺でも良いんですけど、見せるためのものだな、と。少なくとも本人の意識は。その分、「自分は知っているけど、これおいしいよ」って勧められているみたいな印象だったんですよね。だから「これは良いわ。これ、使おうよ。どうやって使おうかなー」って話をしていて。それこそ、「この絵は小説の表紙にしたら良いんじゃないか」とか。でも、自分の中で思考すると、やっぱり『notebook』のままで見たいんですよね。この肉筆感の連続。切り売りしても良いんだけど、一枚絵で全部続いていく感じ。この感覚が、自分としては初めてだったんですよね。出来れば、この形がベストだと。
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なるほど。やっぱり他人に見せるというか、他人に見せて何か言ってもらう、という意識は描く動機として大きいものですよね。
小林
それこそ、描いていた当初、見て頂いていた天野さん然り、ずっと自分の絵を見て言葉をくださった綿貫さん然り、友達然り、見せればみんな反応をくださったんです。反応を頂くから、また見せたくなる気持ちが強くなって描ける。それで雪だるま式に、気持ち良く意識が高まって描けたところもあった気がします。
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なるほど。それで、普通はらくがき以外に、仕事にする絵としてカラーの完成作品を作ってイラストレーターなどの道に進もうとするんですけど、系くんはそうではなかったんですよね。そういう描き方はできない。むしろ、子供がらくがきをする行為に近いような、自然に絵を描く状態でしか描けないというか…。
綿貫
そうみたいですね。でも、「らくがき的な行為を詰めるとこうなりますよ」ということを言われちゃった気がしました。ボールペンってこんなに描けるものなの? って。そういうことは意外と気づかない人が多いんじゃないかな。それを見せたいという気持ちもありました。
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そこで、『notebook』を出版するという話に移りますが、綿貫さんと系くんの中で、このスケッチブックをそのまま世に出したいと思った経緯を聞かせていただけますか?
綿貫
系はずっと描いてきて、「もう分かってきた。もう良い」と言い出したんですよ。それはどっちかというと、「もう満足した」じゃなくて、「これ以上やっても辛いばっかりだ」という意味合いで。「絵を描くこと自体に疲れたんで、辞めちゃうかもしれない」みたいなことを言ったんですよね。本当に参っているな、と思って、「もったいないから、これ、どうにかしようよ」という会話をしたんです。
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確かに系くんは、絵を依頼しても描けない、という描き手なので、編集者としても、とても辛かった思い出があります。すごい絵は描くけど、商業の世界でそれを出せないという。商業イラスト界は、描き手に一定の型を要求してしまうし、客観的な作品を作ろうとする。でも系くんは個人の思いで出来上がり、つながれる絵しか描けない。絵を描くスタンスが「仕事」という枠になりにくいという根本的なすれ違いが埋まらないというか…。
綿貫
その頃はこっちも切羽詰まっていて。ここまで描いたものをなかったことにするのは、あまりにも勿体ない。だから、系の絵、つまりこのスケッチブック自体(『notebook』)が世に出て当然だよという意識はあったものの、やはり簡単ではないですよね。あまり勝算はなかったんですが、もう持って来ましたと言うしかあるまい、という気持ちで挑みました。
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普通のらくがきは、「こういう絵を描いている人がいるから、仕事はどうか?」っていうためのものですよね。ホームページで絵を発表している人も、自分で描いた過去の絵は見本。
綿貫
ただ、『notebook』はもう出来ちゃっていたんですよね。総量として「一冊」の重さがあった。「こういうのを描くから連載させてくれ」だったら、描き手も推薦者も逃げ場があるけど、もう『notebook』しかない。これを自分が欲しいか欲しくないか、もしくは誰かに見せたいか見せたくないか…自分は見せたいと思う。それならばこの状態がベストだと。もう編集もしない方が良い。もともとの絵の良さもあるけど、これを「下描きなしでガーッと描いたテンション」だということも伝えたかった。絵が上手いとかじゃなくて、「人はこんなに持続、集中して絵を描けるものなんだ」ということも伝えたい。「やろうと思ったら、クロッキー帳に何時間でも集中力を込められるんだ」っていうこと…。
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『notebook』そのものが、見本ではなく、本番そのものだと感じたわけですね。
綿貫
その意味で言うと、系の絵はいつも真剣勝負なんですよ。なにを相手に勝負しているかはおいといて、そう感じさせるものがある。キャラクターなのかドラマツルギーなのか、絵を描くときに描き手はいろいろ悩むと思うんです。自分もそうです。例えば現代の東京のビル街なんて、あまり描く魅力を感じなかった。だから、ファンタジーや歴史っぽい絵を描いていたりしました。でも、『notebook』は、ファンタジーの部分もありますけど、基本、現代を描いているんです。街の風景や自動販売機まで描かれている。自分たちは現代人なんで、一番地続きなのは現代じゃないですか。でも、日本に住んでいると、そういう真正面な素材は避けがちなんですよね。それを系は真正面から描いて面白く見せられている。この切り口を今の人たちに見せたいと思いました。見せて良いことがあるという気がすごくしたんです。それに、ペンタブレットで描くのも良いんですけど、それだと粗さも消えるじゃないですか。アナログは、粗さも含めてレスポンスが全部返ってくる感覚がある。自分も描くからデジタルで描く人の否定はしないけど、例えば高性能ペンタブの筆圧感知が何百段階といったとして、いや、アナログは無限だよって言える部分があるじゃないですか。そういう意味でも、系の絵はどうしても欲しい一つの価値観だな、と思ったんです。構図の気持ち良さもあるし、使ってる画材がボールペンというのも、安く済むよ、と言えるし、多方面において描き手にはいろいろ使い道があると思う。
小林
こうやって全部お話頂いて…本当に面目ないんですけども、綿貫さんは自分よりも『notebook』を思ってくださっていまして。そういう意味もあって、今回、監修をお願いさせて頂いて…。
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そういう理解者に出会えたことは幸せなんですけど、それだけの感動が『notebook』にあったからじゃないでしょうか。結局、良いものはまわりが放っておかないと思うんです。確かに個人的な動機だけで描いていたから、本人は出版されるとは思っていなかったんですよね?
小林
そうですね。日記のように描いていたものなので…。
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難しいところですね。
小林
本当に、これまでは手の届く範囲の人の反応しかリアリティを感じられなかったというか。出来ればいろんな評価を喜びたいんですが、実感を沸かせることが苦手らしくて。

インタビュー4につづく