第三回 70歳現役印刷営業マン

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今日も元気だ会社へ行こう!
 

今回の登場人物

◆話し手 林誠(印刷営業マン)

◇聞き手 北尾トロ(調査人)

・写真=寺澤太郎

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 印刷営業マン。ま、ざっくり言うと印刷物、チラシだとか名刺だとかパンフレット,雑誌や本の制作者から注文を取ってくる係である。でも、その具体的な中身はそれほど知られていない。出版業界で働いていても、編集作業までは目に見える感じがするけれど,その先となると次のような一言で済まされることが多い。

 

「あとは印刷所に放り込んで終いだな」

 

 おお、なんと大ざっぱな。

 

 林誠さんは大洋印刷株式会社に勤務するヒラの営業マン。同社は戦前の1930年に設立された歴史ある印刷会社で、初代社長は林孫一氏。つまり誠さんの親戚筋に当たる。

 

 創業者一族の人がなぜヒラ社員? なぜ70歳になっても一線で働いてる? 印刷営業についてこの際詳しく聞くこと。林誠さんの謎を解くこと。ふたつの目的を胸に大洋印刷に向かった。

 

フォトジャーナリストをあきらめ印刷会社へ

 

◆林さんは岐阜県出身で、1964年に立教大学を卒業されてますね。新卒で大洋印刷に入社されたと。

 

◇大洋印刷販売っていう子会社なんですけども。そのころは印刷以外に、デザインだとか、製作物もふくめてやろうとして、別会社をつくってたものですから。いまも存在しますけど。

 

◆最初から営業畑だったんですか?

 

◇卒業するときには……大学では写真をやってたもんですから、カメラマンになりたくて。文藝春秋さんとかで報道カメラマンを募集してまして(受けてみたが)受からなくて。ここが叔父貴の会社でしたから、就職先がないからこちらの会社に入ろうかっていうくらいなカタチで入ったんですけど。

 

◆完全なる縁故入社。じゃあ割と本意ではなく……。

 

◇(苦笑いしながら)そうですね。印刷にそんなに関心がなかったので。でまあ、あえていえば(大洋印刷販売は子会社で)小さい会社ですから、自分が入って、会社そのものをなんかできるようにしたいなと。そういう意味ではサラリーマンっていうのはあんまり…。

 

◆一介のサラリーマンでは終わらないぞと野望を持っていた……というほどのことではなさそうですね。しかし、仕事的には印刷だけじゃなく制作会社っぽい面があるわけです。カメラマン志望者だった若き日の林さん、何かやりたくなったのでは?

 

◇それはやっぱりね、そういう気分はもう。フォトジャーナリストになることはできないけど、写真に関わるようなことはしてみたいと。それくらいは思いますよね。

 でね、カメラマンになるのはあきらめたんだけど、専務がアイデアマンでして、写真のレンタルをはじめようと。あのころ、オリオンプレス……写真の貸し出しする会社がありましたよね。日本の企業だと、ちょうどJTBのはじまりのころで、あそこは全国の写真を持ってたんですよ。観光地のような写真をね。あれが唯一じゃなかったかなあ。カラー写真が希少な時代ですから。あとは共同通信の報道写真を貸し出してたという。要するに写真を貸すっていう商売があまりなかったんですね。だったら、素人でもいいから全国のアマチュアも含めたカメラマンに写真を撮ってもらい、整理して貸し出そうかっていう商売をちょうどはじめたときだったんです。

 だから、私は大洋印刷入るつもりだったんですけど、いきなりそっちいくという話になったときに、別会社にいけばいろんなことやれそうだし、気楽でおもしろそうじゃないかと思って入ったんです。

 

◆文春落ちたしどうでもいいやって気配も多少感じますが(笑)、写真にも関係していますから、動機としては納得できます。

 

◇ええ。

 

◆入社後はこの事業にエネルギーを注ぎ込んだと。うまくいったんですか?

 

◇いえ、失敗しまして(笑)。

 

◆ダメだった。目のつけどころはいいと思うんですがなぜでしょう。

 

◇やっぱり、結局のところ印刷会社の仕事って結構マス(大量受注)ですよね。細かい仕事っていっても何万枚の世界じゃないですか。写真の貸し出しは1枚につき1万とか2万で売れるから、金額的には商売になるかなって思ったら、そうはいかなくて、ここに大洋フォトサービスがあるっていうことを知らせるのにお金がかかりますよね。それに全国にカメラマン契約するっていっても、素人ですから、集めてきたやつが使い物になるかわからないままやってる。

 

◆そこは、さっき聞いたとき「ん?」と思ったところです。素人写真を貸し出すのかって。

 

◇ええ。(大学時代の)写真部の二年先輩が、販売にいたんですよ。その人がトップになって、私と女の子と、カメラマンと4人でその事業をはじめたんですけど、そうこうしてるうちに、確かに食べていけることはいけるんですけど、ギリギリで。でも全体的な会社の利益に結びつくものじゃないですから、結局2年くらいしてやめようと。印刷とデザインだけの商売に、我々も参入しようじゃないかということになりました。

 

◆会社単位で考えると、赤字にならなければいいとはならない。

 

◇利益の母体になるか、あるいは将来性があればいいですけど、どうみても写真を貸してっていうのはね……我々素人がね。ははは。

 プロのカメラマンもいるんですけど、その人のアシスタントもやりました。えーと、たとえばお客さんから注文があるんです。どこどこの写真撮って来てくれと。バス会社から、十和田湖を我が社のバスが走ってる写真をとりたいっていうことで、わざわざ行って写真撮ったりとか、ははは。

 

◆制作プロダクションみたいですね。いま、話している表情から、林さん個人としてはそれなりに楽しんでいたんじゃないかと察しているんですが、おまえを楽しませるためにやってるんじゃないっていう会社の論理もあるわけで。

 

◇要するにいまで言うデザイン・プロダクションとかのものの考え方でやればそれはそれでなんとかなるんでしょうけど、結局印刷屋の延長のなかでやってると……印刷屋ってのは、もの考えなくても成り立つ商売でしてね(笑)。お客さんに言われたことを守ってればいい商売なんで。それがいきなりいろんなことを考えなくちゃいけない。コストのことだけじゃなくて(体質的に)なかなか合わないんじゃないですかね。

 

営業マンの仕事とは

 

◆販売会社には何年いたんですか。

 

◇23年いました。でも、事業がポシャって仕事ありませんから、印刷の仕事取ってこなくちゃいけない。そこで、つぎにやったのが月賦屋さんの仕事。

 

◆月賦屋さん?

 

◇割賦販売(かっぷはんばい)っていって、いまで言うクレジット販売なんです。いま名前が残っているのは丸井くらいでしょうけど、昔は結構いろんな会社があって。そこから売れるチラシをつくってくれとかね。チラシとなると、写真も撮らなくちゃいけない、デザインもしなくちゃいけない。

 

◆打ち合わせから製作全般やって、印刷、納品まで全部できる強みがありますよね。

 

◇月賦会社の担当者と打合せして、原稿いただいて、とりあえずデザインしなくちゃいけないからレイアウトして、何回かカメラマンと撮影して。カメラマンはフリーの人をつかってましたね。デザインはうちでやってましたけど。

 

◆印刷は親会社で行うんですよね。

 

◇いや。その頃、うち(大洋印刷)へたのむと一番高いんですよね、ははは。だから下請け使って、製版も別の会社に頼んでやってました。販売会社の年商は、社員20人くらいで1億円程度ですね。大洋印刷自体は都内で10番目くらいに入るような印刷会社だったんですね。本社は優良会社ですから。お客さんは高島屋だったり、東宝、トヨタ、NHK。

 販売会社は名前こそ親会社に似ていますけど、その下請けという感じではなくて……ほとんど独立でやってました。そういうところは珍しいと言えば珍しいんで。全然別の会社っていう感じでしたね。だから、ずっと赤字が続いていて、本社に何千万かの赤字があって、それを返済していかなくちゃいけない会社でしたから(笑)。

 そうそう、信用金庫の仕事もよくやりました。リーフレットとか。けっこうリーフレットみたいなのも、各行で細かい独自のものをつくるんですよ。金利は年がら年中かわりますから、そのたびに刷り直し。

 

◇おかげで安定した仕事になる(笑)。林さんはいろんなことに関わられたと思いますけど、林さんが入社した後で何か伸びてきたジャンルとか……。

 

◆ジャンルというのはそんなに。仕事も、社長のゴルフ友達だった会社の社長から受けてくるとか、そういうパターンが多くてですね。

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◇営業と聞くと、飛び込んでいってセールストークするイメージが強いんですけど。

 

◆(笑いながら)飛び込んでも商売にならないんですよね。

 印刷っていうのは、営業方法がバラバラなんですね。我々がいくら「安くつくる」って言っても、別のところは「いや、私のほうは安くはないけど良いものつくります」と言ったりとか、すごく違いますんで。

 一般的に、たとえば印刷のクオリティって言っても、Aっていう質とBっていう質の評価は、価値観によって違うじゃないですか。その人が気に入るかどうかで。だからよく若い人でもいるんだけど、校正が上がって来て、「キレイですね」って言う。私は「そういうことを言うな」って言うんですよ。お客さんが気に入るかどうかだから。デザイナーの商売と違いますんで。

 そうなると、結局はお客さんからお客さんを紹介してもらうとか、それが一番じゃないですかね。

 

◇印刷会社の営業は、顧客の紹介によって新規をつかむことが多い。逆に言えば、安定したクライアントを持つには、人間関係がモノをいう世界のようにも受け取れます。

 

◆そうですそうです。印刷の営業っていうのは、担当になると結構長いんですよね。たとえば、高島屋さんの担当は、何十年も高島屋だけで生きていかなくちゃいけない。とくに高島屋だと量が多いですから、高島屋側の担当者が変わっても、こっちは変わらず20年くらい高島屋1本でやってると。そうなると高島屋の仕事しかわからないっていうのがありますよね。だから営業っていっても、印刷屋だとつぶしがきかない。印刷屋はクライアントに気に入ってもらって、そこで長いつきあいをやるほうがいい商売なんです。

 

◇良いクライアントがあって、そこに入り込んでて、その関係が良好に保たれててっていうのが、営業マンの腕の見せ所であり評価につながる。

 

◆そうですね。大洋印刷のことで言えば、林孫一っていうのが90年前に創立してるんですけど、それが高島屋の飯田さんに――高島屋は飯田家のものですから――副社長になったその人にかわいがられて高島屋とともに(大きくなった)ってね。戦後の紙がないときに、高島屋ひとつでやってたってことで。

 そうすると、林孫一が、高島屋とのパイプをつないだと。だからそれを太くしていくという風に、単純ですけどこつこつやってくのが一番の商売ですね。余計な(ところに)顔出さなくていいですから。一軒行けば、10の仕事もらえるとなれば、効率が良い。

 

◇それはでも、親会社の大洋印刷の話であって、大洋印刷販売に関しては……。

 

◆そういうのがないですから、アッハッハ。

 

◇いろんなところいったり、パイプをつくったりっていう営業の仕事は得意だったんですか?

 

◆カメラマンが無理なら、企画とか、文章書いて、広告の仕事とかやりたかったんですが、いかんせんわたし文章が書けなくて。本当はそういうことをしたかったんですけど、ムリですから、忠実にお客さんと現場を結びつけるっていう役割ですね。(そういうことが)得意とかいうより、それが仕事なので。

 おもしろさで言えば、デザイナーとの付き合いはおもしろいですよね。販売で、なんだかんだあって、こっち(大洋印刷)に移るんですけど、販売のときはデザイナーにお願いしてたのが、デザイナーのほうから仕事をもらうようになったんです。だから逆に、純粋な印刷屋としての仕事だけで勝負しなくちゃいけない。そうすると、いままで広告代理店とかデザイン・プロダクションがライバル会社だったのが、そこから仕事をもらって来るようになる。いままで下手なデザインをしてて、小さな企画しかできないデザイナーだったような人から、立派な仕事がもらえるようになりましたから、それに対して忠実にできるかっていう勝負になりますよね。現場に直接行って、「お客さん(クライアント)がこう言ってるから、こうやれ」って頼んで、「林さんがそういうならこうやりましょう」っていうことを現場がやってくれる。それは楽しかったですね。


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代表取締役をクビに

 

◇話が混乱すると困るので、販売会社時代の話を先行させて下さい。

 いままで聞いてた話だと、カメラマン志望だったけど、夢がかなわなくて、大洋印刷の子会社に入り、最初のレンタルフォト事業部ではうまくいかなかったが、その後営業にまわって……。70年には結婚もされて親にもなった。

 

◆で、23年いました。お客さんがつぶれたり、バブルが崩壊したりなんかしながら、いろいろあって代表取締役に……。

 

◇ちょ、ちょっと待って下さい。代表取締役になったんですか!

 

◆ええ。

 

◇すごい出世です。

 

◆いや、代表取締役といっても。私、取締役時代、役員報酬はまともにもらえなかった、ははは。代表取締役になったときは、上の専務が交通事故になって、私がさせられたという話で。

 そのころは、マルコーというお客さんでの仕事が当たって、結構(給料を)もらってたんですけど、そうこうしているうちにそこがダイエーに吸収されたりして、赤字が続きまして(笑)。それで、私の部下だった、本社社長の弟が、社長になって、私は本社に飛ばされて…(笑)。

 

◇40代半ばになり、子会社の代表取締役も務めたのに、クビになって本社に! ビジネス社会のキビシさを感じます。

 

◆(気にすることなく笑顔で)こっちへ来たんですけど、じゃあなにをやろうかっていうね。一番最初のころのように仕事が何もないですから。その頃高島屋がうちの仕事の6割くらいを占めてましたから、わたしは新規開拓の部隊で新しい仕事を取ることにして…(自作の年表を指し示しながら)いろんな方と仕事をさせてもらうようになりました。

 

◇あ、ここでいきなり葛西黛さんとか、一流のクリエイターの方たちと仕事されるようになるんですね。

 

◆うちでポスター展(「イメージミラー展」計4回開催する)というのをやったんです。それはようするに、レスポンスという(写真)合成の機械を使った印刷技術のPRだったんですね。写真のアナログだと、すかし合成っていうか、写真と写真を重ねることができなかったんですね。それがデジタルになると、合成できるようになった。それでレスポンスっていう画期的な機械ができて、うちで買ったんですね。2億か3億くらいするんですけど。それを宣伝するためにポスター展をしようじゃないかと。それで一流のデザイナーを集めて、大洋印刷のポスターを競作でつくってもらうことにしました。

 技術力で勝負しようじゃないかということで。高島屋以外の営業部隊の部長になって、東宝や日赤の仕事を受注したりしました。(再び年表に目を落として)ただ、2年しか続いてませんね。

 この後で経理部長をやらされたんですよ(笑)。2年。印刷屋の管理職っていうのは、部下がヘマしたときに謝りに行くっていうだけじゃないですか。1+1は2の世界じゃないんですね。でも経理は1+1は2の世界じゃないですか。そうしたらもう絶対印刷屋にならないと思いました、ははは。経理部長やって、印刷屋を客観的に見ると、こんな馬鹿な商売はないと思ったんです。

 

◇無駄が多いし。

 

◆で、まさか元に戻されると思ってないですから、これで終わりだと思ってやってたんですけど、今度は集中管理部の部長をやれってことで、これも半年やらされたんですけど、それもクビになって(笑)。次は仕入れとかの管理をやれと言われたんですが、それは断って、営業に戻ったんです。

 

 戻ってきたら、いままでの商売とはまったく別の……。かつてやってきた営業のやり方では通用しないようなことになっていて。

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高い要求に応えるほうが商売になる

 

◇しっかりした仕事さえしていれば、長く付き合いが続いていくと信じられた時代が終わっていたんですね。

 

◆世の中的には、百貨店が斜陽になってきた時代。ところが高島屋っていうのは義理堅いっていうか、仕事くれたんですね。西武とか苦労していろんなことやってたところがだめになっていく中、高島屋はデーンと構えてくれてて。業者も切らないでやってくれてたから、本当にありがたかった。そして、うちとしては高島屋さんとずっとおつき合いさせてもらったことが、知らず知らず、技術力を高めることになってたんですね。

 うちの仕事って(料金が)高いんですよ。高島屋さんの要求するクオリティをやってるっていうのがステイタスっていうか、高島屋さんも、うちが一番キレイなポスターつくってるぞっていう時代が続いてたんですね。色校【注1】も普通1回なのが、5〜6回とかやってた。だから全体的な流れの中で、コストが高い物になるんですね。そうやって、他の商売もやろうとすると、高いんですね。

 だから新規(のクライアント)を取るのは難しいです。値段が安いとはうちは言えませんから。その代わり、うちはお客さんが仕上がりに不満があったとき、責任持って対応する。お客さんが印刷所まで来て、こうやれああやれって言われても、その場で対応できる良さがある。そういうことを考えれば、クオリティの要求が高いものに関しては、決して(料金は)高くないんですね、うちは。だからデザイナーの要求が高いものの方が、商売になると思って。

 

◇例えばパルコの仕事であれば、パルコが求める水準というか、パルコの仕事をしているデザイナーなりが求める水準がそもそも高い。そういう人たちは妥協しないし、要求を満たすために印刷コストがかかることもわかっている。そこに誠実に応えていくことが、高島屋をずっとやっていたおかげで無理なくできた。

 

◆大手の印刷屋だと、組織の中でやってるからできないことも、私は、「だれだれが製版【注2】します」、「この人間がこういうことできるから」と言える。現場に関して言ったら、「この人に刷らせます」とか。そういうことができる。現場とジョイントできるっていう。言葉で言わなくてもそういうことで信用ができてきたっていうことですかね。

 

◇相手がプロ意識が高い方々だと、責任の所在がクリアであることは大事ですよね。この時期は林さんとしてはおもしろかったのでは。でも厳しいでしょう、上がりに対する要求は。

 

◆いや、でも実際にやるのは現場の人ですから(笑)。そのころはプリンティング・ディレクターのように、技術者がお客さんのところに行くことはないですから、私が直接聞いてきて現場に行くんですけど……。

 板挟み? そのへんは歳とってますから、楽ですよ。現場に対して営業するっていうのは心がけてるんですけど、結局、いざというときには現場がちゃんとやってくれると信じていますから。

 いま70歳なんですね。70で現役でいられるのは、いま『金麦』のポスターやってるんですけど、戸田(宏一郎)さんっていう有名な方がひいきにしてくれて、やらないかという話でやらせてもらってるんですけど、そういう方たちは日程がどんどん……。私だったら少しは戸田さんに、「それはもう限度だからもうすこし早くしてくれ」って言えるじゃないですか。若い人だと……向こうも「ジジイだったらしょうがないよな」って思ってくれるかもしれないじゃないですか(笑)。

とくにいまの若い人たち(営業マンたち)ってのは、本当にお客さんにとって一番重要だと思われることも、お客さんに直接言わないというか、それが最終的には結局お客さんに迷惑かけるのに、それが言えないじゃないですか。その点がほか(の営業マン)との差別化というか、それくらいかもしれないですね。真の目的がどっちにあるかっていうか。お客さんがAって言ってるとき、それが間違ってたら言ってあげたほうがお客さんにとっても良いはずじゃないですか。

 

◇それはでも、いろいろ印刷の知識とか、経験とか積んでないと言えないんじゃないですかねえ。

 

◆いやでもそれは、このあいだ若い人と話してたんだけど、信念があるかないかだと思うんですよ。

 入社して2年経った頃、先輩がいて、よく納期に、いなくなっちゃうんです。実は約束はするんだけど、納期に納められないんで逃げちゃうんです(笑)。なんでそんなことするんだって聞いたら、「林くん、そんなこと言ってたら仕事は取れない」って言ったんですよ。それはおかしいだろうと思って。結構そういう業界だったんですよ。

 それでも昔は、おそらく(クライアントが料金を)払ってくれたんですよ。そういうのが商売だっていう話。私そのときに、おかしいと。絶対納期は守らないと、と思って。だから私はかならず伝票を半日なり一日早めてやってた。そうすればお客に大しては100%間に合うと。それだけでも商売になりますから。だから戸田さんでも誰でも、最終的に納期あぶないと思えば言ったほうがいい。お互いのためにいい。

 

◇いろいろあって営業に戻ったわけですけれど、印刷業界で半世紀近く過ごされて、感想はいかがですか。

 

◆おもしろくやらせてもらったほうだと思います、それは。経営者のときはイヤな時代でしたけどね。実は入社しましてからメインの高島屋の担当したことないんですよ。私はほとんどのやつが、新規開拓。だから楽しい仕事しかやってないんですよ。

 

◇高島屋を最初からやってたら、ほかのことができてないってことですよね。それでもどうなんでしょう。クビになったとはいえ代表取締役までやられた方が、管理職ではなく一営業マンでいる気分は。

 

◆う〜ん、正直いえば、この会社、本当は経営したいですよ。でもそうはいきませんから。ははは。そうすると、余計な喧嘩したくないですから。私の立ち位置としては、経営と関係ない所でやらせてもらってる。この歳で兵隊としてやらせてもらってるっていうのがありますから、上司に頭下げなくていいし。そういう気楽な立場でいられるっていうのは、サラリーマンとして幸せですよね。


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70歳の一兵卒

 

◇自分は営業マンでいい、営業マンでいたい。いわゆる出世欲から解放され、現場の仕事にやりがいを見出すのは、いくつぐらいのときだったんですか?

 

◆経理部長やめて、52くらいのときから、自分の路線というか……「ここ(大洋印刷)で営業やらせてください」って言ったときくらいからじゃないですか。役員になってたらもっと違う、管理部門みたいなところになると思いますけど、そうなったら100%社長とぶつかると思ってましたんで。自分のことだけに専念すればそれはない。役員になるよりそっちでいこうと。まさか70までいさせてくれるとは思いませんでしたけど(笑)。会社の規則としては60歳が定年なんです。

 

◇61歳で新規開発部長になってるじゃないですか。

 

◆役職定年(55歳)という制度がありまして、それが延長になってたんですね。その延長がずーっといままで続いてるんです。役職定年の延長はみとめられるんですけど、社員としての延長は普通はみとめられないですよね。だからまあ、かなり特殊な例ではあります。

 

◇やめる選択肢もありますが、働いてるほうが好きだということですか。

 

◆そうですね。仕事って健康にいいじゃないですか。体脂肪測ってるんですけど、会社にいくとかならず落ちてるんです。家に居るとき、散歩とか一生懸命やってるんですけど落ちないんですよ。すこし脳みそ使わないといけないんですかね。

 

◇いま会社の立場では、放し飼いみたいな感じなんですか?

 

◆名刺ですと、一応第三営業本部の営業六部一課の所属なんです。私の上司は一課の課長なんですよ。

 

◇課長はいくつなんですか?

 

◆37かな38かな……。

 

◇あはははは。使いにくい部下だ。

 

◆その上に部長がいて、本部長がいて、その上に常務がいて、その上に社長がいる。私はまったく兵隊です。

 

◇おもしろいですね、林さんみたいな人ってあまりいないですよね。

 

◆学校の同窓会っていうか、立教の写真部でしたから、話してたら、「お前の会社は小さいからできるんだ」って言われて。

 サラリーマンって、年齢差別ですよね。この世の中。何歳だからっていうのは、おかしいですよね。なんか給料体系が、役職を重ねないと給料があがらないというのが一番ありますね。でも、管理職に向くタイプと、現場で優れてる人って、能力がちがうじゃないですか。野球の監督が、現役の4番バッターより給料高い、みたいなかんじで。あと年齢で給料が上がっていくっていう、でも使い物になるかっていうと、50くらいで(能力が)落っこってくるじゃないですか。そうなりゃ給料減らしてやりゃいいんですよね。そこで上げていっちゃうから、定年でドンとリストラしなくちゃいけなくなる。歳を取ると給料が減るシステムにすれば、もっと年寄りも働けるっていうか。

 

◇大洋印刷はいい会社なんですよ。

 

◆ですね。私みたいな立場の人を、制度化したらいいのにねえ。

 

◇普段は外に出られることが多いんですか?

 

◆社内にもいますよ。見積もりしたり。印刷所に行ってみたりもしますし。印刷所の中でやること結構多いんですよね。みんな格好つけて仕事してるフリしてるわけじゃないから(笑)。なんでこんな仕事あるんだろう(と近くの机の同僚に)。昔より仕事増えたよな。パチンコやってたり喫茶店行ってたやついたけど、いまそんなやついないもんな。

 

◇印刷の話に戻りますが、いまの印刷会社はデジタル化によって、アナログ時代よりも醍醐味は薄れてますか?

 

◆薄れてますね。クオリティが良い悪いっていう話あるじゃないですか、でもそれはアナログがわかってる人が言う話なんですよね。アナログを知らない人にとってのクオリティって、まったく別の話なんじゃないですかね。

 いまはほら、写真にしても撮影時に基本的なことをやらなくなった。とりあえず撮って、あとでなんとかしようという発想です。影になってるのを、明るくしろって平気でいう。私に言わせれば、撮る時に少しくらいライトをあててやれっていう話ですよ。「汚い建物とれ」とか、修正するのを前提に撮ってるじゃないですか。初めからバカバカ撮っていって、あとで勝手に修正しろっていうイメージなんですよ。

 

◇印刷だけじゃなくて全体のシステムが変化してしまった。

 

◆でもまあ、デジタルしかしらない人たちが増えていくわけです。だから若い人に言うんですけど、いま先輩にどういうものが儲かるか聞いても無駄だと。自分達でどういう商売するかっていうことを考えないと、100%商売にならない。偉そうに年寄りがいうけど、それは嘘だっつうんですね。その人たちがわかるわけがないんで。いまとか、この先のことは新しい感性をもってる人たちが決めるんですから。

 

 いくら偉い先生でも、ポスターの仕事もいまは少なくなってしまった。じゃあ、印刷屋はこの先、なにを仕事とするかですよね

 

言うべきことを言う覚悟を持て

 

◇印刷営業マンとして後輩に伝えたいことはありますか。

 

◆お客が怒ってもいいから言うべきことを言う、その覚悟があるかどうかですよね。そこを教えたいですよね。結局怒られたくないんですよ。お客にも怒られたくない、現場にも怒られたくない。だからっつって、逃げるんじゃなく……こつこつ説得してって……それが商売だよって最近いうんですけど。

 私なんかはこっちを納得させて、こっちを納得させて、それがプラスいくらっていうお金になったと。それが楽しいっつうかね。そういうことだと思うんですけど、そこに結びつくかですよね。

 

◇空気読んでばかりいると、自分だけが摩耗して、お客さんも不満が溜まってしまって、どうにもならないっていうことですよね。ちゃんと筋通してやっていれば仕事の満足も得られるし、結果も得られることがあると。

 

◆ただね、それが上手く行くかどうかはわからないんですね(笑)。

 

◇そつなくまとめようと思ったのに、それを言っちゃあ。

 

◆その考え方で成功してれば、私、(今ごろ)経営者になってますから。だからそうやると経営はうまくいくだろうとホラ吹いてるんですよ(笑)。

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※注1: 「色校」=色校正刷りのこと。主に発色の確認をするために刷られる。一回というのが普通だが、特に厳密な色調整が必要な場合などは、複数回出されることもある。

※注2: 「製版」=印刷工程のひとつで、印刷のためのフィルムを作ること(デジタル印刷においては一般的に、フィルムではなくアルミ板に直接レーザーで焼き付けを行う)。

 

☆プロフィール

 

林誠(はやし・まこと): 1941年、岐阜県生まれ。1964年に立教大学社会学部を卒業し、大洋印刷販売入社。23年間勤め上げた後、1987年大洋印刷へ。現在第三営業本部営業六部一課所属。

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