第六回 腰掛け少女は編集室に半世紀いた

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女性映像編集者のお仕事人生

 

今回の登場人物

◇話し手 大橋冨美子(映像編集者)

◆聞き手 北尾トロ(調査人)

・写真=寺澤太郎

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 映画やTV番組の編集者は、フィルムを切ったりつないだり、素材となる映像を組み合わせ、尺に合わせてカタチにしていく仕事だ。が、映像編集の仕事と聞いて、「ああ、あれね」とすぐ反応できる人は少ないと思う。現場を見る機会が圧倒的に少ない、きわめて職人的かつ裏方に徹した仕事だからだ。

 この道およそ50年の大ベテランである大橋冨美子さんにインタビューすることになって、そのことに気づいた。撮影した素材をただつなぐだけでは作品にならない。そのことはなんとなくわかる。そこに映画監督や番組ディレクター以外のプロがいて、さまざまな作業を行っていることも想像がつく。でも、具体的に何をしているのか、映像編集とは何かと問われるとさっぱりイメージがわかないのだ。

 白紙の状態で大橋さんに会う。仕事の話を語って聞かせることなど初めてに近いという大橋さんは、頼りないインタビュアーを前に、何から話せばいいかと思案顔だ。こうして、ぼくたちの会話は、大橋さんが現在関わっている仕事を足がかりに手探りの中で始まった。

 

「映像編集」とはどういう仕事か

 

◆あの、大橋さんの職業は映像の編集ということでいいんでしょうか。

 

◇はい。

 

◆あ、名刺にそう書いてありますね。「映像編集 大橋冨美子」となっています。

 

◇でも、私でいいのかしらね。業界全体のことなんてわからないですよ。

 

◆それでいいです。大橋さんの個人的な体験を聞かせてもらえればありがたいし、仕事に携わった当時からどのように今に至るか、教えていただくつもりで。

 

◇私、昔からやってるけど、深くその仕事を理解してやってるわけではなくて。

 

◆ざっくばらんに話していただければなと。

 

◇やってる期間は長いんですけどね。

 

◆大橋さんのお仕事って、映像全般……?

 

◇ええ、(映像編集の世界に)入ったのは映画(から)なんですけど、いまはNHK-TVの仕事がほとんです。

 

◆映像編集って説明しにくい仕事ですよね。アバウトなイメージとしては、監督さんが撮影を終えて、それを完成に向けて、切ったりつないだりするのかなあと。それでいいですか? 

 

◇それでいいと思います。

 

◆そのなかで、大橋さんはどういう役割をしているんですか?

 

◇TV番組を例にとると、ディレクターが取材してきますよね。それで、ディレクターのつくりたい方向にそって、映像をつくっていく……つくっていくというのはおかしいのかな。小説を書くのと同じように映像を組み立てるというイメージです。

 

◆構成も一緒に考えるということですか?

 

◇そうですね。一緒に考えて行きますね。自分は表にでないけど、クリエイターと一緒になって、実務的なところをやると。

 

◆相当べったりと、一つの番組に関わる。企画を考えたり、取材に同行することはないんですか?

 

◇それはないです。ドラマの場合は、スクリプター【注1】として参加することはありますけど、通常の番組では、編集室で(はじめてディレクターに)お会いするというかんじですね。

その以前に会ってお話を聞いたりはしますけど、実労働は編集室での仕事なので、最初に「どういう番組にしたいんだ」っていうのを聞いて、素材(撮影された映像)を見て、「こういうふうに撮れてるんだったら、こういうふうにしたらどうか」とか、そういうことを編集室でやっていきますね。「この番組ではこういうことを伝えたいんだ」と言われたら、じゃあこうしたらどう? とか。

 

◆編集作業に関する部分ではアイデアも出す。

 

◇そうですね。常にディレクターと話し合いながら進めていきます。

 

◆TV番組には、ざっくり分けて構成がはっきりしているドラマ的なものと、ドキュメンタリーのように、素材をとってきただけのものと、二種類あるんでしょうか。

 

◇ドラマのように、台本がある場合もありますよね。それはだいたいホン(脚本)に忠実につないでいくんですけど、他の場合は、素材をどうその番組に生かしていくかっていうことですね。物語を作りながら、映像を組み立てていく。

 

◆たとえば30分の番組ですと、何日くらいで編集するんですか?

 

◇番組によって違いますね。3、4日で終わってしまうものもあれば、1ヵ月かかるものもあるし。スタジオ撮りが多い場合、「インサートV」って我々は言うんですけど、そういう映像をつくって、問題提起をして、出演者にそれに沿って話してもらう、というかたちのものは、話をつめていく(出演者の会話の部分を編集してゆく)だけだからそんなに時間はかからないけど、「オールV」だと、やっぱり一ヵ月かかる場合もありますね。30分の番組でもね。番組によっていろいろです。

 

◆素材が多ければ多いほど大変ですよね。ときには、素材の大半が捨てられてしまうこともあったりして。

 

◇ええ、大半捨ててます、ハハハ。でも、多い中から番組に合った映像を組み合わせてゆきますので、捨てるから無駄ということではないんです。

 

◆じゃあ視聴者は大半が捨てられ、整理されたものを見ているにすぎないことになりますね。

 

◇そうですよ。そうじゃなきゃ、作品にならないですよね。

 

◆素材をただ並べられたって、見てる側にはわけのわからない映像の束でしかない。そのために映像編集者がいる、と。最初から最後まで関わっていくのがディレクターで、撮影班は取材をやって、編集者は素材を料理する担当で。

 

◇はい。そのあとに効果音つけたりとか、そういうのはまた他の人がやってますからね。

 

◆仕上げはやらない?  尺にあわせて映像をつくって……イメージで尋ねてしまいますけれど、 ニュースのなかにインサートされている映像は、直前に編集されるわけですよね。そういうのもやられてるんですか?

 

◇私は報道番組をやってなくて……報道は報道でまた別の人がやってます。私のように一週間に1本あげればいいかっていうのんびりした人は、ニュースに向いてないんですよ。10分でさっとつなげることをしないと、ニュースには出せないので……。

 

◆(ニュースは)型がきまってますよね。

 

◇ロングがあって、寄りがあってね、フフ。その場の状況が一目でわかることが大切ですから。

 

◆NHKだったら、自前の編集もいるわけですよね?

 

◇昔はいらしたんですけど。NHKはね、いまはいないと思います。我々のような外注がやらせていただいてます。

 

◆え、そうなんですか。大橋さんの場合は、NHKの特定の番組をずっとやってらっしゃるわけですか?

 

◇特定のものもありますが、いろいろな番組をやらせていただいています。番組によって契約書をかわしたりはしませんが……。あの、映像編集といっても仕事の中身って一本一本全部違うんですね。一日の時間も決まってなくて、徹夜もあればね。それはきついですよ。若くても年とってても一緒ですから、やることは。あの、こんな話でいいのかしら。

 

◆とても興味深いです。一つの仕事に対して、基本はひとりなんですか?

 

◇編集はひとりですね。昔は助手というのがつけられて、若い人たちが仕事をおぼえていく場があったんですけど、ビデオ(の時代)になってから、作業的に一人で十分なんですよ。だから新人を育てるのはむずかしいですね。

 

◆典型的な高齢化コースです。

 

◇してますね、高齢化。私なんかががんばってますから。

 

◆すみません、そういう意味では。

 

◇ハハハ。でも最近は、編集機がデジタル化されてきて、若い人たちが増えてきていると思います。

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遊びに行ったはずがアルバイトに

 

 映像編集の仕事は、作品をカタチとしてまとめあげていく段階でディレクターとともに編集室にこもり、ときにはアイデアも出しながら、そこに映るものとして何を選び何を捨て、どういう順序、構成でもって視聴者に差し出すかを決めていく。決めるのはディレクターだとしても実作業を行っていく。そして、その多くはひとつの作品についてひとりの編集がやっている。重要な仕事である。ある意味、作品の出来映えを左右する役割だ。

 映像編集の現状については後でまた聞くとして、ここで話題を変え、大橋さんのキャリアを振り返ってみたい。いまではディレクターからの信頼も厚く、有限会社オフィス・ワン代表取締役の立場では、フリー映像編集者のネットワークを作って仕事をシェアしている業界の大ベテランにも、当然ながら駆け出しの時代があった。いったいどういうきっかけで、この仕事に携わるようになったのだろう。「それはですね……」と恥ずかしそうに微笑む大橋さんの話は、こういう流され方もあるのかと、ぼくを驚かせるものだった。

 

◇キャリアは、もう50年くらいになりますかね。長いばかりで自慢にもなりませんけど、ハハ。撮影所になにげに、アルバイト的に入ったのが61か62年でした。砧(きぬた)の東宝撮影所。いまでは貸しスタジオになってさみしくなって……。昔は「日本のチネチッタ(イタリアの撮影所)」なんて言われていましたよね。

 

◆それは、映像編集の仕事がしたくて入ったんですか、それとも女優を目指して。

 

◇まさか、ハハハ。それどころか私、映画がどのようにして作られるのかなんて何ひとつ知りませんでした。って言うのは、私、茨城県の高校に通っていまして、「学校推薦で、自分の家の隣にある(徒歩一分)小学校の事務職員を探してるから、そこにいきなさい」って校長先生からいわれたんです。ところが、いざ試験を受ける段階で、年齢が(18歳に)達してなかったのでダメになって……こんな話でいいのかしらね。

 

◆映画のことなどまったく考えてなかったんですね。

 

◇考えてませんでしたね。ほかの就職先も断っちゃっていたので、「来年まで待つの?」って思ってたりして。そういうときに従姉妹から連絡があって、友達の叔母さんが撮影所で働いているから、暇だったら遊びにいこうって誘われたんです。それでなにげなく遊びにいったんですね。演技科というところで、俳優さんのお世話とかしている人だったのでびっくりしました。その方に、「遊んでるんだったら、二三日いたら?」っていわれて。「泊まりがけってことかしら、だったら嫌だわ」って思ってたら、「いま忙しいところがあるから手伝って」ってなぜか頼まれたんですね。編集っていう部署で。だから、「編集ってなんですか?」っていうところからはじまって……そのままずるずる。

 

◆いや、それは典型的な巻き込まれ型ですね。映画の学校に行ったわけでもなく、目指してたわけでもないと。

 

◇そうなんです。私自分の人生を自分で決めてないですから、常に。映画が好きで絶対映画をやりたいということでもなくて。「二三日いたら?」っていわれなかったら、普通のサラリーマンになってたと思います。

 

◆東京にお住まいじゃなかったんですよね?

 

◇生まれは東京ですが、そのときは茨城にいたんです。で、どうせ遊んでるんだったら、手伝ってもいいかって思って。私が最初にやったのは、現像されたフィルムが制作部にあがってくるんです。それを編集部まで持って行くっていうのが最初の仕事でしたね。

 

◆仕事というか、本当に雑用係ですね。

 

◇自転車に乗れるというのが強みで、ハハハ。自転車に沢山フィルム缶を積んで運べるっていうので。

 

◆アルバイトみたいに、おこづかいもらえたんですか?

 

◇いただけましたね。

 

◆泊まりがけは嫌だったのに始めてしまった。

 

◇その叔母さんがたまたま独身だったんで、「じゃあうちへいらっしゃい」っていわれて。両親には反対されましたけどね。「映画なんて、つとまるわけないじゃない」って。私の時代は花嫁修行が重要視された時代でしたから。私はそういうのはもともと苦手で。だから親への抵抗みたいなものもあって、映画をちょっとやってもいいかなって。ちょっとの間ならいいかなって。

 

◆1960年代初頭は、映画全盛期になりますか?

 

◇私が入った頃は斜陽になりかけてたっていうかね。「斜陽だ斜陽だ」っていわれてましたからね。テレビもはいってくるころですし。

 

◆でもいまからみればまだまだ活気があった。

 

◇そうそう。私が入った当初は、黒澤(明)さんの、『悪い奴ほどよく眠る』か、そういうのが製作されてたころかなと。電話を聞いてると、「悪いやつですけど何かあがりましたか?」とか、「悪い奴ですけどロケスケジュールが」とかいわれて、「悪い奴って何?」って思ってました(笑)。

 

◆……いまの話で、大橋さんが偶然、映画界に入ったということがよくわかりました。

 

◇本当にねぇ、フフ。

 

◆正真正銘のド素人が撮影所を自転車で走り回っている。

 

◇最初のころは珍しいんで、俳優さんを見かけると自転車停めて眺めてたりしてましたけど、だんだん慣れてくると、まあ当たり前かなってなってきて。私が入りたての頃は、三船(敏郎)さんもいらっしゃいましたし、森繁(久彌)さんだったり、社長シリーズがあたってたころなんで、司葉子さんとか……セットのなかに出入りしていて。

 

◆2、3日の手伝いのつもりが、ずるずると?

 

◇はい。先輩をみてると、編集っていうのは、自分がやる気になれば、できていくのかなって。私、学生の時に勉強した記憶ってないんですけど、スポーツだけはやってたんですね。バスケットをずっとやっていて、あれはチームの中で自分のポジションをキープすれば、ある程度やれて行く世界なんですよ。編集っていうのも、自分のポジションをちゃんとやれば生きて行けるかなって感じて。それでやっていこうかなって思ったんです。

 

◆でも映画界の雰囲気って独特じゃないですか? 職人的な世界で上下関係もキビシいのでは。若い女の子だからといってちやほやされるわけじゃなさそうです。

 

◇もたもたしてると、どやされる。まあでも若かったからよかったかもしれない。先輩たちとすこし(年齢が)開いていたんですね。一番下っ端の仕事をやらざるをえない代わりに、大変(仕事ができる)な先輩に仕えることができて、そこで辛抱を覚えて。

 

◆自分のポジションがわかれば強いタイプですからね。東宝の社員になったんですか?

 

数日のつもりが社員に

 

◇そうですね、1年して、私は試験を受けるつもりも無かったんですが、「受けてみなさい」といわれて、大先輩と一緒に受けて採用されました。親もしょうがないかって感じでしたね。

 

◆はあ。聞いてると、じつに成り行きまかせな感じですね。

 

◇ハハハ、まったくその通りなんです。

 

◆社員になってからは具体的な仕事をするようになったんですか?

 

◇(1本の作品に)助手として2、3人つくんですけど、私は(一番下の)サードくらいでついて。おもな仕事はテープを使ったカットつなぎ。エディターがここからここまでいらないってサインすると、そこを切って必要な部分をつなぎ合わせるっていう仕事をしてましたね。時間ではなくて、フィルムのここからここまでって印がついているんです。

 

◆映像は見るんですか?

 

◇いいえ、私は見なくて、(上の)エディターがビューワーっていう編集機を見て、使うところを決めて、黄色とか赤のデルマート(色鉛筆)でサインするんですね。そのいらないところを切って、必要なところをひたすらつなぐ。

 

◆でも切ったものは捨てるんじゃなくて、また拾ってきて使う場合もありますよね。

 

◇ええ、「カットくず」っていう。くずっていう表現はするけど、くずじゃないんです。また元に戻すときがあるかもしれないから、それをとっておく術も施さなくちゃいけないんですね。だから一コマだけ切るときもあるんですけど、なくなっちゃうときがあるでしょう。そうすると、徹夜で一コマを探したり、そういうこともありました。

 

◆そういう仕事でサードだったら、怒られるのが仕事のようなポジションですね。

 

◇ええ、まさに。

 

◆音も同期してますよね? 音はつぎはぎだらけのものを、もういっかいやくんですか?

 

◇最終的にはそうなんです。編集マンがつないだものを、監督とかスタッフがみんな見てオッケーがでればいいんですけど、なにか意見があれば、またテープをはがしたりして、切り貼りするんですね。それでみんなが初めていいっていうことになれば、映像の方は現像所にだして、ネガ合わせっていうのをやるんです。音の方は、音楽や効果音などを入れ、整音してからサウンドトラックに焼き付け、画音一緒になって上映されます。

 

◆ネガ合わせ?

 

◇撮影用フィルムにはまずネガフィルムっていうのがあって、そこから現像して、普通の写真のようにポジを焼くんですね。編集で使うのはポジ。だから元(のネガ)はあるんですね。いまのテープと同じように、元は残ってるんですね。私も入ってしばらくいろんなことやったんですけど、ネガのNG抜きっていうのも2年くらいやりました。まるまる現像すると高いので、OKカット分だけを抜き出して、ラッシュっていうのを起こすんです。東洋現像(現イマジカ)と東京現像っていうのがあって、わざわざそこまでいってやってたときもありました。朝は撮影所に出勤するんですけど、昔はいい時代で、車で(現像所まで)送り迎えしていただいていました。

 

◆ひとつひとつの仕事をカラダで覚えて行く時代。映像編集者を育てるシステムを映画会社が持っていたとも言えますね。そのころ印象的だった作品や監督はありますか。なんとなく業界入りして編集の立場になった大橋さんの目に、どういう見え方をしていたか興味があるんですが。

 

◇映画だと、私は一番、あれは……黒澤さんですね、あの『赤ひげ』のときに、私は田舎(茨城)から早朝の電車で通っていました。朝早くから会社にいて、黒澤さんが10時くらいにくるんですけど、黒澤さんは、自分がのってくると、お昼も食べずやるんですね。私は若かったんで、おなかが減って、鳴っちゃって……ふふ、そうすると、眼鏡の奥からみられるんですよね。黒澤さんのあの目が忘れられない、ふふふ。

 

◆黒澤さんは全部立ち会うんですか?

 

◇いや、自分でこう、急所がありますよね。そこはやって、あとは編集マンにまかせていました。

 

◆撮影のときみたいには粘らないんですね。

 

◇編集室では、あるもの(素材)での勝負ですから。撮影のときはいろいろやりたいことがあって、粘るんでしょうけど。

 

◆編集していううちに、撮り直すことになったりすることがあるんですか?

 

◇作品によってはありますよ。だから時間がかかったんだと思いますけど。

 

◆当時、黒澤さんは巨匠ではあったけども、後に天皇っていわれるような、そういう存在だったんですか?

 

◇いや、でも周りは一目おいてたと思いますよ。助監督がなかなか編集室に入ってこなかったりとか……。(私は)怖さがわからなかったんですね。野上輝代さんていうスクリプターがついていて、編集スケジュールなどは野上さんからいただいていましたので。でもやさしいんですよ。黒澤さんにもお嬢さんがいて、「あんたも若いんだから、お茶のみなさい」とかいってくださったり……。成瀬(巳喜男)さんもやさしかったし……みんながいうほど怖いとは思わなかった。よく知らないし、編集室でお会いするくらいでしたので、そんなに関わらなかったからかもしれないですけどね、ふふふ。

 

◆黒澤監督も、いっぱい切るんですか? コンテも細かいし……たくさん回してそうですよね。

 

◇もちろん切ります。立ち回りや、群集を撮るときなどには6台くらいカメラが回ってますからね。ひとつのシーンに。そのすべてが、あの人の頭の中に入っているわけです。それを選び、組み立てていくのは……すごいなあと。

 

◆捨て方のすごさを含めてのこだわり。

 

◇だから撮り直しもしたくなる、ふふ。

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師匠に誘われTVの世界に

 

◆素人に毛の生えたくらいの大橋さんが、サードとはいえ巨匠たちの作品を切るというのがおもしろいですね。東宝には長くいたんですか?

 

◇6〜7年かな。辞めたとき、まだ20代半ばでした。辞めるきっかけは、通うの大変だっていうことで。居候していたおばさんが定年退職し、やめようと思ったら引き止められて自宅通勤になったんです。もう、社報に載るくらい、撮影所のなかでも有名になるくらい遠距離。往復5時間! もう無理、辞めようとなったところで、私の師匠みたいな方が、独立して事務所を作るから一本だけ助手として来い、と。せっかく覚えたんだから、一本くらい、助手ができる仕事をやってみたらっていわれまして。

 

◆本人の強い意志ではなく、周囲の状況で。

 

◇はい。なんとなく続いちゃうんですね、ハハハ。

 

◆助手に誘われるということは腕を見込まれたことでもありますよね。そして遠距離通勤も継続される。

 

◇通いきれず、師匠の家や制作会社に泊まりながらやってました。で、その仕事というのが、テレビだったんです。私が一番最初にやらせてもらった番組は、生島治郎さん原作の『追いつめる』。ワンクールくらいつづいたのかな。フィルムは16ミリです。35ミリから16ミリにかわったときに、とまどいましたよね。画がよく見えないんです。慣れないと見えないんです。ときどき音とズレてつないだりして怒られたりしてました、ハハ。映画ではコント55号の映画を切らせてもらったのが印象的です。

 

◆映画とTV、フィルム以外にも違いがありましたか。

 

◇映画の場合は、撮影に入ると毎日ラッシュがあがってきますよね。だから徐々に整理できるっていうところがあるんで、そんなにバタバタはしないんです。もちろん「このままだとつながらないですよー」ってことはあります。アクションがちがってたり……。そのためにスクリプターがいるので、スクリプターから注意書きがくることはありましたね。だから映画の場合は現場で把握してないっていうことはなかったかな。人に関しても、初期のTVは監督が映画からきてる人だから、映画と同じように撮ってたんで、編集の方法はそんなにかわらなかったですね。ただ、テンポが早いというか、連続ドラマの場合は毎週放送しなくてはいけませんので、忙しさは相当のものでした。で、実家まで帰れなくなる、ふふ。

 

◆その後も、途切れずに仕事を頼まれていくことになるんですか?

 

◇たまたまですよ。そういう流れというか。コント55号の映画もいくつかやってましたし、海外の映画も、もう題名わすれちゃったんですけど、それの「尺ツメ」っていうか、それを師匠がやってたので手伝ったりとか。映画館用にながすものも何本かやりましたね。

 

◆尺ツメなんて勝手にやってたんだ。

 

◇私もよくわからなかったですけど、制作会社がうけて、それを師匠が、「いらないよ」ってカットしてましたね。

 

◆師匠の元で修行しながら、大橋さんはフリーランスとして仕事を任されていくことになります。編集のギャラは1本いくらでもらうんですか?

 

◇はい。助手とかになると日数で計算してくれるときもあるし。自分でやるときは一本いくらですね。

 

◆自分で関わった映画を、劇場や試写室に見に行かれましたか。

 

◇行ってました。コント55号のとき、師匠が「お前がやったんだから、俺は金だして見にいくよ」っていうので劇場で。そのころは、コント55号の全盛期だったんで、結構若者もきていて並んでいたので、「並んでいる人にアイスクリームでも買ってやりたいね」って師匠は言ってましたね。

 

◆自分の名前がクレジットされている画面を見たときの気持ちは?

 

◇そのときはね、これでよかったのか……安心するっていうことじゃなくて、笑ってくれたけどこれでよかったのかなあって。最初のころは不安でしたね。このつなぎ方でよかったのかなあとか、みんなが「これでいい」って言うからこれでいいのかとか……そういうのを続けて、自信がついてくるっていうのはありますけどね。

 

「切る」ことの覚悟

 

◆誰かにしかられたり、ほめられたり、そういう忘れられないエピソードってありますか?

 

◇初めて自分でつなぐ……撮影所のときに、予告編はみんな助手がやるので、2、3本やらせていただいたんですけど、ちゃんとしたドラマはそれがはじめてだったんです。台詞の間とかアクションが、いざ自分でやると、とらえどころがないというか、この一コマをとったほうがいいのか、つけておいたほうがいいのか悩んだ。一番最初に監督に、「おまえこれでいいのか!」って言われた時に、これじゃいけないのかって思って。師匠も一緒に居て、師匠は、「まあこれでもいいんだけど、自分で、カラダで覚えて行かないと身に付かないからな、今回はいいんじゃないの?」って。「自分でやんなきゃできない」って初めてそこでわかって、じゃあ次は怒られないようにしようって思いましたね。

 

◆怖い仕事ですよね。最終的には観客や視聴者だけど、そのまえに監督がいる。俳優さんもいる。

 

◇うん。何コマくらいで動きをとってるかとかね、師匠とか先輩のを夜中に見て、「こんだけの間が必要なのね」とかね……そういう細かいことは。

 

◆まかされて、責任を背負ってやらないと覚えないということですね。

 

◇だって、人の(仕事を)見ると、簡単にできてるように見えますよね。ところが、いざ自分が切ろうとするとそうはいかない。たとえば会話ひとつとっても、見ている人はあたりまえのものとして見ていますが、(それは切ったり貼ったりした)後のもの。どこをとれば(切れば)いいかなって思うんだけど、そのときに、師匠は原点に帰れって言うんですね。「なんのためにこの話を聞いてるんだっていうところを求めれば、切れないことはないんだ」と。インタビュー映像があったとすると、「この人に何を聞きに行ったのか」っていうところに戻ればいいって言うんだけど……でも同じ話に聞こえてきちゃうんですよね。

 

◆映像編集の仕事は「切る」なんですね。切れなければプロではない。どこをどう切るか、捨てるか。

 

◇ええ、みんな「つなぐ」っていうんですけど、私は「切る」っていうんです。切るっていうのは、相当の覚悟がないと出来ない仕事なんですよ。

 

◆師匠と二人三脚の時代があって、だんだんTV中心になっていく経緯を教えてください。

 

◇師匠が病気になられて、亡くなるんですね。そのときに家族からも、「右手をとられたようなもんだから、できないでしょう」って言われたんだけど、そう言われると、「そうかなあ?」って思って。そうしてやってるうちに、NHKでテレビドラマが盛んになってきました。そのころは映画のスクリプターさんとか監督が、ドラマ作りの指導っていう立場で入っていった時期。知り合いのスクリプターさんが、「遊んでるんなら手伝いにおいでよ」って言ってくれて、NHKにいったら、その日にフィルムと台本を渡されて……。なんか私、働く人間に作られてるみたい、ふふ。

 その日、なんにもわからなくて徹夜しましたね。NHKの人から、これとこれをこういう感じでつないでって言われて。できなくて徹夜しましたね。それでこれ一本できたら辞めようって思ったら、次から次へと仕事を持ってきてくれるんですよ。映画からも話がきたりしてたんですけど、毎日NHKにこないとできないんですね。要領がよければできるかもしれないけど私……悪いから。テレビのフィルムがあがってくるのが遅いっていうのもあるし、ディレクターとの話し合いで私がうまくのみこめないっていうのもあるし。でも仕事を下さって、いつのまにか居着いちゃったんですね。40年近くいますか。72年からNHKに来てると思うんで……。

 

◆大橋さんは自ら営業するわけじゃないけど、人とのつながり、あるいはひとつひとつの仕事が、転機になるたび生きてきましね。

 

◇人に恵まれているっていうかね。小さい頃から、自分の人生を自分で決めてないっていうのがあるんですね。みんながなんか、「こうしなさい」って言うことをやってると、ずるずるいつのまにか。この次どうするのって思ってるとまたこうして……。

 

◆ははは、成り行き任せの人生。

 

◇私がぼーっとしてるから、先輩たちも、「あなたどうせ外で競争することはできないんだから、NHKだと合ってるから、ここにいなさい」とか言ってくれて。

 

◆夜型なんですか?

 

◇朝も夜もないですね。朝早くから夜遅くまで。帰ったら寝て、その繰り返しです。だから最初に、「自分ひとりでやりなさい」って言われた師匠とやってる頃っていうのは、自分がいつ寝たのかのかもわからない。いま思えばね。花が咲いても、「きれいだね」って思ったこともないって話すんですけど、ハハ。季節

も、何年経ったの? みたいなね。「気がついたらこんなんなってたね」って。余裕がなかったですね。気持ちに。

 

◆大橋さんはそうおっしゃるけど、周囲が見えないほど夢中になって駆け抜けてきたとも言えると思います。どこがおもしろいですか。

 

◇完成していく段取り、無から作品にしていく過程、構築して一本できあがったときのよろこびじゃないですかね。自己満足でしかないですけど。私なんかは、モニターのなかのドキュメントが好きなんだなって思っているんですね。いろんな番組に出会って、それぞれ全部違って、毎回勉強なんですね。つねに新しいっていうか、緊張して番組に取り組む。つねに教えられてるっていう感覚があるから。

 

◆それはベテランになっても変わらないものですか。

 

◇そうですね。毎回違うから。

 

◆最初に素材つくりますよね、それを整理して、切って再構成していく。だからまあ、丸太から彫って仕上げるみたいな、粗く彫ったものの輪郭をくっきりさせていく。だけどアーティストじゃない。むしろきわめて職人的な仕事。

 

◇テレビの場合は、ギクシャクしている所を整理してわかりやすい番組にします。いつも視聴者側の立場に立ってつくろうと意識してるんです。カメラマンも一生懸命撮ってきたものが捨てられるのは残念で、苦労して撮ったものは使いたいと言ってきますよね。でもそれだけが浮き立つとだめだから、ディレクターも交えてとことん話し合ったりします。

 

◆共同作業。

 

◇ええ、みんながこれだよねっていうところに落ち着くのが一番いいんですけど、そこにいたるまでの葛藤がありますよね。

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薄れていく映像の皮膚感覚

 

◆フィルムの時代といまでは、作業的にはいまのほうが楽ですか?

 

◇そうですね、いまはデジタルだから、カットくずはなくならないし、音と画はいっしょだし。昔のフィルム時代だと、裏表が逆になって、飛行機が飛び立たなくちゃいけないのに、飛び降りちゃったりとか、あはは。いまそういうことは絶対にないですからね。もう年だから、新しい機材やソフトについていくのは大変ですけどね。NHKでは、プラナスっていうソフトを使っています。

フィルムからテープになって、コピーするほど音がきこえなくなったり、画が劣化していくんで、また新たに、元からつなぎなおすこともあったんですけど、いまはデジタルなのでそういうことはありません。

編集作業の段取りは今の方がいいのかもしれないですけどね。……ただ、機械を通すと自分の手にフィットしないんですよ。(両手を広げながら)これぐらいで何秒なんだっていうのが、フィルムだと手でわかるんだけど、そういうのがないからね。一つ機械を介すと、デジタルですからね。映像と皮膚感覚が通じてないところが、どうしても……。自分でつないだ感じがなかなか……持ちにくいのかな。

 

◆放送も基本的に一度限り。

 

◇映画だと何週間か見てもらえるけど、テレビは放送一日で終わっちゃうから、そういう虚しさも確かにありますよね。徹夜してこんだけやったのに、気がついたら放送終わっちゃったみたいな。あと、デジタルだとギリギリまで作業できるので、いつまでも関わってます。これでいいって言っても、まだどうにかなるんじゃないか、と。

 

◆職人魂ですね。でも、冒頭おっしゃったように、NHKでさえ社内で映像編集者を育てる余裕がない現状で、後進は育っているのかが気になります。

 

◇あのね、編集をやりたがる人はいますよ。私らのときは、映像関係の学校、日大とかはあったと思いますけど、専門学校がなかったんです。いまは専門学校がでてきてますので。だからみなさんそこでやってらっしゃるんだと思います。もっとも、フィルムのことはわからないようですね。「かつては舐めてつないだんだよ」っていっても、わからないんですよ。

 

◆舐めてつなぐ……?

 

◇フィルムは薬液がついてるから、それをけずらないとくっつかないんですね。だから編集室では、薬液をやわらかくするために舐めて作業していたんです。私が入った頃から、つなぐためのテープができたのでラクになったんですが。

 

◆その時代を知っている現役編集者は、もうほとんどいないでしょうね。NHKで働いている編集では、大橋さんが一番のベテランなんですか?

 

◇いやいや。もっといますよ。だから私なんかが幸せだなとおもうのは、若い頃からはじめると、ディレクターが定年になるまで使ってくれたりとか。そういう付き合いがあったからこそいままでやってこれたのだと思いますよ。

 

◆優秀だからでしょう。

 

◇いえいえ、どうしようもないからですよ。最近は、私のところに来た仕事を、若い人たちにお願いしていこうかなと思ってます。自分がかつてそうしてもらったように少し役に立てればと。私がNHKで仕事をするようになったときは、女性は二人しかいなかったんですけど、いまは女性も増えましたしね。女性の仕事でもあるかなっていうのもありますからね。集中力とか、忍耐力の点で……。

 

◆近年のTVはテンポが早くなり、やたらと字幕を入れる傾向がありませんか?

 

◇コメントでカバーしていくのが多くなりましたよね。そういう点では番組作りは簡単になったんじゃないですかね……昔は声と映像でつくっていて、テロップは極力入れないでつくりましょうっていうのがあったんですけど、いまは、テロップでつくりましょうっていう……。

 

◆番組作りは簡単になっても編集の仕事は減らない。もう宿命ですね。

 

◇徹夜はしたくないけど、居眠りしながらやってます、ハハ。でもしょうがないかなとも思います。編集っていうのは、番組の仕上げのところで関わってきてるから、いろんな情報がないとできあがらないですよね。自分のなかでつながっていかない。いろいろ質問しないとわからない。現場を見てないからね。話をして、「そういうことなの」って納得するまでは、本当にね……。だから、コミュニケーション能力が大事、なのかな。

 私は「名曲アルバム」というて番組をずっとやらせていただいて、ディレクターが何人もかわってるんですけど、あれはパターンがきまってるんで、なんとなくこういう感じ、っていうのがわかる。でも、それまでは音楽、ましてクラシックに馴染んでなかったので、5分でクラシック聞けるの? っていうところから始まってるんです。

 

◆見る人と同じ感覚ですね。

 

◇さすがにいまは、大体こういうふうにすればいいかなあってわかるようになりました。でね、あの番組は、5分間のために、映像を全部撮りに行ってますよ。毎回。音楽も5分に編曲してちゃんとつくる。そして私は、5分の番組のために膨大な映像を見なくちゃならないの、ふふ。私は、海外旅行には一度も行っていないのですが、この番組で世界旅行をさせてもらっています。

 

◆切るために見るんですね。

 

◇以前『自然と遊ぼうって』いう幼児番組をやってたことがあります。30年近くありましたかね。15分番組なんですけど、60時間くらい撮ってくるんですね、そのなかから……それは全部見ますよ。早送りして見るときもありますけど、素材は全部目を通さないと、どんなものがあるかわからないから。

 

◆徹夜になっちゃいますね。

 

◇そうなんですね。これはもう、しょうがないとあきらめています。

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※注1: 「スクリプター」=映画の撮影現場で、撮影されたシーンやショットの内容を記録する部署。例えば、ひとつのショットで机の上に乗っていたものが、同じシーン中の次のショットでは消えてしまっているというようなことがないようにする。

 

 

☆プロフィール

大橋冨美子(おおはし・ふみこ)

東京に生まれ、茨城県で育つ。高校卒業とともに東宝撮影所に。撮影所を辞めフリーとなってから、徐々に映画からテレビへと活動の場を移し、近年は主にNHKの番組を数多く担当している。有限会社オフィス・ワン代表取締役。

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