第七回 身近な不夜城の舞台裏

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コンビニオーナー24年

 

◆聞き手 北尾トロ

◇話し手 一柳義満

・写真=西郡友典

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 1年365日フルオープン。不夜城どころか盆も正月も関係ない。飲み物、食事から日用品、雑誌、公共料金の支払いまで、コンビニの世話になっていない人は少数派だ。ほとんど毎日コンビニで買い物をしている人もいるだろう。すっかり生活に溶け込んでいるコンビニだが、そこで働く人について我々は多くを知らない。どんな勤務体系なのかはもちろん、店主が誰なのかさえよくわからないまま通っている。考えてみればすごいことだ。それで支障なく買い物できるコンビニの特殊性は、我々に、そこで働く人々を"ヒト"と認識することすら忘れさせてしまう。見えているのに見ていない存在に。

 けれど言うまでもなく、コンビニはヒトが動かしている。オーナーや店長がいて、その家族やアルバイトがいて、皆で24時間をまわしている。「開いてて当然」を維持するために、店は何をしているのか。スタッフや地域との人間関係はどうなっているのか。脱サラ後、東京・渋谷区でセブンイレブンの店長(実質的なオーナー)になり、「開いてて当然」な暮らしを続けることほぼ四半世紀。65歳を機に現役を引退した一柳義満さんに話を伺った。

 

引退をして、一パートに

 

◆今日は喫茶店でのインタビューですが、一柳さんが店長をされていたセブンイレブンはすぐそこなんですよね。辞められて悠々自適の毎日のところ、大勢(ライター、編集、カメラマン、紹介者)押しかけてしまってすみません。店はどなたかに譲られたんですか?

 

◇フランチャイズ契約ですから、店の権利があるわけじゃなく、「譲る」というか「引き渡す」、ですね。

私自身は現在、知り合いのセブンイレブンで手伝っていて。週2回、おせちとか催事ごとの取り組み方をアドバイスしています。うちのお店はそれ(ノウハウ)を一から作り上げて強かったので。

 

◆セブンイレブンをやめたのに、別のセブンイレブンを手伝っている……。

 

◇はい。

 

◆(混乱しつつ)それはスポーツで言うと、現役引退した選手が別のチームでコーチをやるようなものですかね。指導員的な存在として。

 

◇指導員ではなく、パートで働いていますよ。

 

◆コンビニオーナーを、いわば卒業された一柳さんが、請われてコーチになるのではなく、一選手として働いているんですか。わけがわかりません。

 

◇そこのお店は(おせちや催事ごとの取り組みを)今までやっていなかったんですが、ぜひやってみたいということで。「僕がやってきたことで良かったらいいですよ」ということでお手伝いしてるんです。たまに、他の店から社員のためのセミナーをやってくれと言われたりもします(笑)。自分でお店をやっているときは井の中の蛙で、そういう付き合いってあまり無いんですね。支店本店ではない、フランチャイズのライバル関係だから。やめてからそういうお話が色々と来るようになりました。

 

◆コンビニ間のつきあいがあるなんて初めて知りました。

 

◇ははは。いやいや、そういうことではなくて。僕も長年やってきたわけだから、ノウハウというほどじゃないけど自分なりのやり方を持っています。ちょっとしたことで売上げが変わってくることが、よくあるんです。後で詳しく話しますけど、そういう点じゃ僕はすごく苦労したし、教えてくれる人もいなかったので。

 それと、僕はゼロにリセットできる男なんです。手伝ってる店でも、「掃除しなくていい」とかそういうのはイヤ。(特別扱いを受けると)従業員とかパートさんとうまくいかなくなっちゃうんですよ。セブンイレブンのオーナーやってたか知らないけど、チョロッと来て偉そうにされたら、僕だったらたまんないですよ。パートさんなんかその店に10年か15年いらっしゃるでしょ。だから、みなさんと同じ。そのほうが僕も気が楽なんです。

 

◆誰よりもコンビニに詳しい、経営面のアドバイスまでできてしまうパート店員。

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「独立」の機会をうかがって20年

 

◇そのほうがやりやすいし、実際、プレッシャーとかはないでしょ。気楽な立場ですよ。

 

◆セミナーとなると人が良いだけで頼まれるわけがなく、一柳さんの実績を見込まれてのことでしょう。そこには少なからずコンビニ以前の仕事人生が関わってくると思いますので、まずそこから伺います。

脱サラされたと聞いていますが前職は何をされていたんですか。

 

◇僕は高卒で銀行に入りました。愛媛県の地方銀行の銀行員だったんです。10年間いまして。銀行にいるときから「独立したい、独立したい」と思っていた。銀行ってだいたい2年くらい前に退職通告しなきゃいけなくて、そのぐらいの頃に通告して。

最初は不動産関係の仕事をやろうとしたんだけど、ちょうどオイル・ショックになっちゃって、許可がおりなかった。どうしようもないのでウロウロしていたら、銀行のときの上司が建設材料の商社にいて、社長と親戚関係なそうで大阪の支店長をやっていらっしゃった。僕はやりたい仕事の関係でしょっちゅう大阪に行っていたので、仲が良かったし泊めてもらっていたんです。僕が貸付担当をしているときの課長だったかな。それで、(元上司に)「バイトでもいいからうちの会社手伝ってくれよ」と言われて。とりあえず四国の本社に行ってくれ、と。それで本社へ行くと、僕はバイトのつもりだったのに、突然試験をされまして。結局はその会社に10年いたんです。

全国に支店があるからあちこち転勤で行って。まず最初は東京に1年半いて、そのあとは福岡の支店長になって福岡に7年いた。ちょうど東京から帰ってきたころに、子ども2人が東京の大学に行きたいと。もう転勤だらけでしたし、東京の大学に行かせるのは経済的にも大変だなと。じゃあ、初志貫徹でやっぱり何かやろうかということで、考えついたのがコンビニ。

 

◆つまり、独立を2回考えたわけですね。1回目の再就職のときに、独立志向はいったん治まったんですか?

 

◇いや、それはないです。絶対いつかは独立したいと。

 

◆「ホップ・ステップ・ジャンプ」で言うと、銀行で社会人としての常識を覚えて10年。次は上司に誘われて、半分騙されるようなかたちで入ったところで揉まれて、人を育てて、また10年。子どもが大きくなり、東京で勝負に出た。奥さんには相談したんですか?

 

◇なかったです。ぼくは相談しないタイプ。銀行を辞めるときも、やめると決まるまでは絶対に言わなかったです。言うと自分の決断が揺るがされますから。結婚するときに、「僕はずっとは会社にいないよ」「独立したい」と言っていましたから、家内も覚悟はしていたみたいです。ただ、セブンイレブンを始める条件があって、今は変わってきたんですけど、当時は夫婦じゃないとダメだったんで、家内の理解と協力は絶対必要だった。「仕方ないね」って感じでしたが、お店をやめてから家内が最近よく「あのときは辛かった。お父さんがサラリーマン辞めるの、なんで止めなかったんだろう」って言うんです。辞めるまでは一切言わなかったんだけど。まあ、僕も必死だし、言い出したら聞かない性格ですのでねえ。上手くいく保証はないから、銀行を辞めたときに大型トラックの免許を取っていたんですよ。いざというときは、長距離トラックのドライバーになるつもりでした。

 

◆それが40歳のとき。西暦では。

 

◇1986年。コンビニをやろうと決めたのは、銀行も地方銀行でしょ、商社も地方のこぢんまりした建築材のところで、なにか自分でいちから店を起こすという能力は自分には無いだろうと思ったんです。フランチャイズだけど、やるんだったら他のコンビニではなく、一流の男と付き合ってみたい。鈴木敏文元社長とか、イトーヨーカドーの創業者伊藤(雅俊)さんの著作を読んで感銘を受けていたので。

 

ようやく開店にこぎつける

 

◆資金は潤沢に用意してたんですか?

 

◇いえいえ。(セブンイレブンの)コンビニって、契約の仕方が大きく分けると2つあるんです。「A店契約」っていうのは、土地とか店舗を全部持っている方、例えば酒屋さんとか米屋さんとかがセブンイレブンと契約して、セブンイレブン仕様によってフランチャイズを結ぶ。僕たちみたいにお金がない者は「C店契約」って言って、セブンイレブンがお店を構えてくれるんです。調査をして場所を決めて、そこでお店を開かせてくれる。C店契約では、店舗改装は全部本部がやってくれた。資本金は350万くらいだったかな。研修費と保障金みたいな感じでね。あとは「チャージ」っていって、A店契約とC店契約では利益の分け前が違う。もちろんA店契約のほうが好条件になります。ちなみに、例外的なタイプとしては直営店があります。大学の中とか、病院の中とか、都庁の中とか、そういうのは普通の経営者だと利益の出し方が難しいんですね。365日24時間やれるわけでもない。そういう店舗と、全国各地の社員とか我々のように経営したい人たちのトレーニングストアも直営店です。研修センターはもちろん別にあるんですけど、実地トレーニングするんですよ。

 

◆その頃は、まだそれほどコンビニって多くはなかったですよね。新店ラッシュの時期だったんですか。

 

◇そうですね。ただね、C店契約っていうのは僕らがはしりで、それまではなかったと思います。リクルーターが米屋さんとかお酒屋さんを中心にまわって、コンビニに変わっていくのが多かった。僕が始めた時期は、本部が店舗を構えてオーナーが経営するスタイルがスタートして2年目くらいだったのかな。

 それで、本部へ行って面接だのいろいろあって。おもしろい会社でね、役員面接で「やめたほうがいいよ、大変だよ」って言われる。それがまた気に入っちゃってね、「ふざけんじゃねえよ、やってやろう」と、ははは。意思(の強さ)を確かめてたんでしょうね。

 

◆研修はどのようにやるんですか。

 

◇全部で3週間かな。あの頃は親会社がイトーヨーカドーで、夫婦で松戸へ行って基礎的な研修が2週間。試験とか受けて。その次に、普通の一般的なお店で夫婦で実習1週間。新宿若松町のお店にお世話になった。

 

◆夫婦できりもりするのが前提になった研修。

 

◇そうそう。条件ですから

 

◆場所選びも建物もやってくれるなら、C店契約をすればとりあえず開業まではスムースに運んだんですね。

 

◇いやー、商店街に建設を反対されまして、ゴタゴタが大変だったみたい。開店するときも、開店の朝まで看板の"24時間営業"ってのをつぶして見えないようにして。僕はそういう細かい事情を知らないし、経営の考え方はわからないですから、本部に言われるがまま。でも、お店の土地を持っていた大家さんがすごく良い方で「俺がセブンイレブンをやることにして、お前(一柳さん)を店長として雇う形にしよう。挨拶廻りは俺がしてやる。とにかくやろうぜ」ということを言ってくださって問題が落ち着いた。だから僕、開店してから辞めるまで、本部にはオーナーとか呼ばれるけど、商店街の人やお客さんには店長と呼ばれてましたよ。いまだにオーナーと呼ばれることは全然ない。みんな店長、ははは。

 

◆そうすることで、よそ者が勝手にコンビニ作り、商店街に脅威を与える図式を避けることができた。

 

◇だけど、私たち夫婦はよそ者ですからね。開店してしばらくは、火の点いた花火投げ込まれたりとかね、ヤクザは来るし。

 

◆「出て行け」ということですね。となると、当初は経営が大変だったんでしょうか。宣伝などは?

 

◇開店する前に本部のほうでバイトさんとかを募集して、「クローバー」って言うんですけど、チラシ配ったりして。25年前は、コンビニは若い人が利用するもので、お年寄りは来てくれなかったですよ。今は3カ月するとお店を任せてくれるけど、あの頃はお店の経営がセブンイレブンの基準に合わないとだめで。要するに、(フランチャイズ・オーナーと言っても)委託経営、給料制。金額は忘れたけど、生かさず殺さずみたいな額だったと思いますよ。僕は4月に開店して、本当のC店契約になったのが12月でした。何とか最低の利益が出るまで3年かかった。ただ、食べ物を売っている店ですから、「廃棄」って言う、売れ残りね、これは売ることができないからゴミとして捨てるんですよね……。

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ご法度の「配達」をはじめる

 

◆儲からないときには、二重のつらさですね。

 

◇本当にそのことで悩みましたね……。

今はセブンイレブン平均日販が全国平均で60何万くらいなのかな。その頃もそんなに変わらなくて、50万か40何万くらいだったかな。その頃のセブンイレブンの本部の方針は、もともと酒屋さんっていうのは配達して食べていたけど、コンビニをやる酒屋さんに「配達はやめろ、店をきっちりやって、店にお客さんが来るように、まず商売をやれ」というものでした。僕は酒屋でもなんでもないから、他の店と同じことやってたらダメだなと思って、開店して1年経たないうちに配達始めたんです。

 

◆それはすごい。そんなコンビニは聞いたことがありません。

 

◇なんでかと言うと、その時代でも来てくれていたお年寄りがいたんですよ。どういう方かというと、体が弱い方、遠くまで行けない方。今でも、僕がやっていたお店の近くにはスーパーがない。コンビニには8軒できて囲まれちゃいましたけど。お年寄りはそれでもしゅっちゅう来れないから、一度にたくさん買うんですよ。洗剤買って、牛乳買って。重くて持って帰れないですよ。もう亡くなられたコジマさんというお客さんがいまして、あるとき家内が「いいよ、おばあちゃん、あとで私が配達してあげるから」って言ったのがヒントになったんです。若者しか来てくれないコンビニにお年寄りを取り込むには、そういうことをすれば来てくれるんじゃないかなって。あの頃はまだ個人情報保護法っていうのは制定されてなかったから、町内会に行ったり、商店会に行ったりして名簿をもらって。当時は神田に名簿図書館っていうのがあったんですよ。

 

◆ありましたね。知ってます。

 

◇そこで名簿買ってコピーして。そういう時代ですよ。それでダイレクトメールを手書きで作って、コピーして、配った。お店を統制してる「FC(フィールド・カウンセラー)」っていう人がいてね、そいつに会うと怒られるんですよ。「他の店はきっちりやってるのにふざけんな、冗談じゃねえよ」と。

 

◆やっちゃいけないことをしていた。生き残るために。

 

◇よくFCと喧嘩しました。今でも当時のFCと付き合いはありますけどね、年賀状が来たり、メールが来たりね。相談受けたり相談したりするんだけど。当時は喧嘩してもお互い曲げなかったですね。

 

◆FCは何をしにくるんですか?

 

◇指導に来たり、本部の方針を伝えに来たり。こういうキャンペーンやりますよとか。カウンセリングに来るんです。ただ、店っていうのはあくまでフランチャイズ契約だから、一定のルールは存在するけれど、人に関することとか、お金に関することはFCもタッチできない。そのあたりの解釈で喧嘩になるんですけどね、ははは。

 

戦略を立てつづけるためのシフト編成

 

◆その頃は何人でお店を回していたんですか?

 

◇最初の頃は15人いましたね。最高のときは30人いました。

 

◆そんなにパートやアルバイトを使うものなんですか。

 

◇家内と僕と、あとはバイト4〜5人いればどうにかできると思っていたけど、それやっちゃうとね、何にも戦略組めないです。

 

◆経営者がレジ売って品出ししてちゃ、なかなか成長しない。

 

◇もう疲れちゃってね、食って寝ることしか考えなくなっちゃう。今はATMがあるからとりあえずそこにお金を全部入れちゃうんですけど、その頃は送金しに銀行に行かなくちゃいけない。経理は本部が全部代行してやってくれるんですよ。一回売上を全部振り込んで、1ヶ月決算してくれて利益をくれるから、銀行に毎日持って行く。それで、銀行で寝ちゃうんですよ(笑)。「自分の番号来たらすぐ起こしてください」って。銀行で居眠りできるのが嬉しくて嬉しくて。

 

◆休憩を兼ねているんだ。具体的に、24時間のシフトはどのように組まれていたんですか。

 

◇僕らC店っていうのは、できるだけ人件費をかけたくないっていうのがありますね。昼間はパートさん数名と家内と私で交代してやろうと。だから相当無理をしていました。安定してからのシフトは、僕は朝7時半くらいに出ていって、午後2時くらいまで。家内は10時くらいに出てきて、夜中の0時くらいまで。僕が休憩挟んで夜の8時にまた出てきて、っていう。深夜は社員さんとかバイトでまわしていました。

 

◆じゃあ、ご夫婦のどちらか、もしくは両方がだいたい店にいるわけですね。夫婦揃って自宅にいることは深夜を除くとほとんどない。

 

◇はい。最初はお店が入っている建物の3階。家族の人数に合わせて、住宅も用意してくれるんです。途中でマンション買っちゃいましたけどね。

 

◆なるほど。そんな状態で人件費惜しさに夫婦中心で切り盛りしようとしたら、年中無休、24時間営業はいかにもキツい。

 

◇仕事が忙しかったら、家内も朝に入ることもあるし。セブンイレブンの場合は注文の〆切が午前11時なんですよ。11時までに頼むと、1便、2便、3便とあって、3便が確定。それから、夕方の6時は「修正発注」って言って、明日届く分を、全部じゃないけど修正できます。天気予報が変わったから増やしたりとか。ところが、その〆切は1秒でも遅れてはいけないんです。

 

◆他人には任せられないですね。

 

◇遅れたら本当に何も入ってこないですよ。

 

◆売れ筋というか、毎日発注していたものって何ですか? やっぱりお弁当とか?

 

◇そうですね。お惣菜関係は、今ほどじゃなかった。お弁当とかおにぎりとかは、セブンイレブンがダントツに強かったですね。やめてから色んなところのを食べてみましたけど、今ではそんなに大きな差はなさそうですね。でもお客さんは昔の味を覚えていらっしゃいますから、「弁当はセブンイレブンじゃないと」って方もいて。そういうのを聞くとうれしくなっちゃいますね。

 

◆話を戻すと、夫婦のいずれかとアルバイトが複数ですか?

 

◇最低2人。昼間はパートさん。夕方は高校生が多かったですね。深夜は法律がありますから18歳以上。大学生か、その頃はフリーターという言葉がなかったですが、そういう方もいました。

 

2000人の顧客名簿をつくりあげる

 

◆その陣営で、売上げアップを仕掛けていったと。配達以外にはどのような?

 

◇やっぱりお年寄りが店に来てくれたことが……、お年寄りにどれだけ助けられたか。口コミしてくれるんですよ。(前述した)コジマのおばあちゃんとかね。「セブンさんは配達してくれるよ」っていう口コミでどんどんお客さんが増えた。老人会のお弁当とってくれたりとか。町内の集まりってだいたいお年寄りでしょう、今もそうですけど昔もそう。そこで、さらに口コミしてくれる。もちろん、僕らはクローバーも徹底的にやりましたよ。

 

◆チラシ作戦。

 

◇それをダイレクトメールでやった。何かを予約してくれた人とかが載ってる顧客名簿が、店をやめるときに数えたら2,000件ありました。パソコンに打ち込んで分類して、いつでもDM用のシールを出せるようにしてある。単純なのだったら筆王とか筆まめでできるんだけど、予約って言ってもお歳暮とかお中元とか色々だから、それを個別に管理するとなると、そういうソフトだけじゃできないですよ。だから、僕だけではできないから、うちの娘にソフト組んでもらって。

 

◆家族が総力を挙げて! それにしても、コンビニの顧客名簿が2000人とは驚きです。

 

◇そうなんだけど……最初なんて誰も……見向きもしなかったですねえ。昔はコンビニでおせちを買ったりギフトを送るっていう思想なんてなかった。コンビニから送ると、相手にバカにされる感じとかね。最初はそうでしたよ、品物も。世の中ではデパートが幅をきかせてますもんね。「DO(地区事務所)」って言って、コンビニの場合はエリアで分かれているんですね、「新宿DO」とか「池袋DO」とか。(コーヒーカップを持ち上げながら)自慢話になるけど、DOで予約関係はトップを譲ったことがないですよ、たぶん。

 

◆それだけ必死だった、売上げを伸ばさないとやっていけない。

 

◇はい。僕は「この立地じゃダメだな」って思ったんです。「コンビニをやってるんだよ」と知り合いに言うと、よく「何でこんなところを選んだんだ」と言われますね。専門学校以上か、会社か駅があるといい。僕のお店の周りには何もない。駅前のお店は開店すると売上が80万円とかで、うちは最初は34万ですよ。

 

◆コンビニって淡々と仕事しているように見えるけれども。

 

◇とんでもない、毎日が背水の陣だ、ハハ。

 

◆夫婦のどちらかがだいたい店にいて、なおかつ戦略も練っていくようじゃないと疲弊して長持ちしないというのが一柳流コンビニ経営術なんですね。

 

◇そう、僕はそういう方針。最後まで通したのは、顧客名簿に載っているお客さんが来店されたときは、必ず声をかけること。挨拶だけでもする。僕や家内や社員とかメインのパートさんは、そういう人たちの顔を見ただけで名前がわかる、何を頼んでくれたかわかる、そういう状態にしようと。

 

◆え、コンビニって客の顔を覚えているものなんですか?

 

◇覚えます。熱心なパートさんは、そこの家族の子どもさんまで名前を知っていますから。「今年幼稚園だね」とか。

 

◆そこまで細かく……。

 

◇覚えますね。よく言うのは、コンビニはお客さんとほとんど会話がない。うちの場合は、あまりにもお客さんと従業員が親しいから苦情が来たことがありました。「レジが混んでるのに、何ペチャクチャ喋ってるんだよ」って。15年目で店舗改装するから1週間くらい休んだんですけど、開店当時はあれだけ反対してた周囲の人とかからね、「どれだけ不便だったか」「電気がついてないからさみしい」とか言われてね、地元の役に立っているんだなって思いましたね。

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人を育て、店を育てる

 

 コンビニとは、ましてフランチャイズ店ともなれば、地域に溶け込み、住人たちの生活に密着することが成功への唯一の道である。一柳さんの店は商店街の外れ、住宅地にさしかかる位置だったからなおさらだ。コンビニ経営ではフランチャイズ店への最低保証があって、赤字でどうしようもなくなっても、最低の生活は保証されるシステム。本部の指導も受けられる。でも、それでは何のために店をやっているかわからない。

 がむしゃらに数年間続けるうちに常連客が増え、お年寄りを中心とする顧客リストが充実してきた。大変だったと言えばそうなる。だけど、一柳さんにとってはあっという間の日々だった。毎日コンビニにいる、起きているかぎり常に店のことを考える。それは単調でおもしろ味のない日常に見える。でも、違うのだ。コンビニでは日々、売上げという結果が出る。それは品揃えだけではなく、どこに何を置くかだけでも変わってくる。仕入れの手腕でロスが増えも減りもする。挨拶ひとつで贔屓の客になってくれることもある。

 本部との連携も大切だ。ウェザーニュースと契約して天気予報とか、データベースで地区で何が売れているかとか、どのお店でどれが売れているかとか、販売金額ではこれがこれだけとか。そういうデータを見られる強みを活かし、地域性や独自性を打ち出していく。退屈しているヒマなどなかった。一日に34万円の売上げしかなかった店は業績を伸ばし、最高で一日120万円、月商3000万円を売り上げる優良店へと成功を遂げた。

 

◆コンビニではアルバイトをたくさん使いますよね。彼らとうまくつきあうコツはありますか?

 

◇僕の考え方は、仲間として働くことですから。掃除は率先してやるとか、バイトが嫌がることを俺がやると。正直言って、従業員で困ったことはほとんどないです。あの頃は、パソコンとか携帯で募集するシステムは無かったですから、主に求人誌ですよね。でも、僕は開店してから3回しか募集を出したことがない。バイトさんの8割は店頭広告と紹介です。パートさんからパートさんの紹介。あるパートさんなんて、子どもさんが全員うちに来てました。それから、お客さんからの紹介。

 

◆ここでもお客さんが登場するんですね。

 

◇お客さんから頼まれることなんか、いっぱいあります(笑)。だいたい、親を見れば子どもがわかり、子を見れば親がわかる。覚悟して、育ててやろうという気持ちじゃないと雇っちゃだめですね。(一般的に)ダメとされる子どもを雇っても、本当にダメでなければ育ちます。それに、こっちから言わなくても親がめちゃくちゃサポートしてくれるんです。何か予約してくれたりね。そういうのにすごく支えられた。

 

◆本当にだめなバイトもいるということですか。

 

◇悪いことをするダメなやつはいっぱいいました。友達に買い物に来させて、10品目買ってレジは2つだけ通して、あとで分けるとか。あとは、頼まれて外国から来た人を雇ったこともあるんですけど、「品抜け」っていって、深夜なんかに入った品物を裏のドアから友達に渡したり。それから「ため銭」も。お客さんの中には、「ハイ、これ」と言ってちょうどの金額をカウンターに置いていかれる人がいますよね。それがトータルどれくらいの額になるかを頭の中で計算しておいて、その分をレジから抜いちゃうんです。レジを打たずにお金をためて、ためた分だけ抜く。でもすぐにわかりました。絶対レジにお金が余るんです。足りないと気づかれるから。例えばため銭で3,000円余分にレジにお金が入ってたとすると、2,500円くらい抜く。それは僕が店をやって初めて気がついたんです。「なんでこいつのときだけ微妙にお金があまるんだろう」と。そんなにお金が余るはずないですから。そういう悪いことをすると、お金もそうだし品物も、3ヶ月に1回の棚卸のときにわかるんです。棚卸のときに調べると万引きも含めて70万とか。

 

◆やってられないですね。いわゆる、薄利多売の商売ですよね。色んな人にちょっとずつ買ってもらって。そういうときはどう対処するんでしょう。

 

◇スタッフルームに呼んで、「わかってるだろ? 申し訳ないんだけど、辞めてもらう」って。自分も恥じゃないですか。店の恥にもなるし。いくら(スタッフの)人間関係が良くても、腐ったリンゴが中にいると、どんどん腐っていっちゃうから。

店の雰囲気がそういう雰囲気だと、やられるんですよ。だから、雰囲気づくりなんです。それはコンビニやって初めてわかりました。銀行でも商社でもそういう経験ない。そういうことができない雰囲気に持っていこうと。最後の15年は、万引き以外はそういう事件はゼロと言っていい。

 

◆悪いことをできない雰囲気って、明るいとか?

 

◇声がよく出ているとか、いちばん大事なのはお店がうまくいっているということ。万引きされるっていうのは、客数が少ない店が多いです。客数が多いと万引きが増えると思うでしょう、でも他のお客さんの目があるから万引きができないんですよ。テレビでよくやってる万引きの番組も見てみてください、周りにお客さんが誰もいないですよ。そのへんにお客さんがいっぱいいたら絶対にできない。

 

◆お客さんがチェック役をしてくれるんだ。

 

◇そうそう。うちなんかはお客さんが万引き見つけてくる、ハハハ。

 

◆ご夫婦でお店をやられてましたけど、店の中はオフィシャルな場ですよね。自宅で一家でのんびりできなくて、これが大変だなと思うんですけど。

 

◇慣れちゃえばなんでもないですよ。娘が弟に、「ねぇ、クリスマスには二人だけでケーキ食べたよね」「親と一緒に食べた事などないよね」、って言っていたけど、「そうだっけ?」って。旅行へも年に2回くらい行っていましたよ。ただ普段は、僕らは夫婦で一緒にご飯を食べることもほとんどない。

僕の場合は、最後の10年くらいは、マネジメントをきちっとやりたいって思って、金曜の朝は店に出て行かなくて夕方8時から、土曜日は朝に出て行って11時に終わるというシフトにしていました。それで、自宅に帰ってきてダイレクトメールを作ったり。マンションのリビングは資料とかカタログだらけ。1週間のうち2日間はそんな感じで、その間は今の店長が店にいた。

 

◆いいスタッフが育っていたと。じゃあ、(その人が)一柳さんの跡を継いだわけですか。

 

◇オーナーではないですけどね。彼は高校生のときからバイトでうちの店にいて、何度か就職するって言って出ていったのに戻ってきた(笑)。2度目に戻ってきたときは、バイトではなく社員で月給制にしました。3店舗持っていらっしゃるオーナーが別にいて、店はその方に譲ったんですが、彼には店長の跡を継いでもらいました。

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店を閉じたときの感動

 

◆たまには夫婦で飲みに行くこともありましたか?

 

◇仕事が早く終わったときは夫婦だけで居酒屋に行って。それがめちゃ嬉しいんですよ。サラリーマンやってると、普通の生活でも何にも楽しくないですよ。今は海外旅行とかできるけど、あの頃は1泊旅行でも仕事のことを気にしながらね。でも、そのときの喜びって全然違いますよ。

 

◆待ちに待った休暇。値打ちがある。

 

◇従業員もよくわかっていて、「私が入ってあげるから旅行行ってください」とか。来月には、「パート会」っていうのがあって、パートさんたちと旅行に行くんです。

 

◆パート会? それはOG会みたいなものですか。

 

◇そうそう、パートさんがOG会を作ってる。僕がね、一番感激したのは、辞めたときに送別会やってくれたんですね。そのとき、全国から80名集まった。今の店長とかパートさんたちが、元従業員を調べて連絡してね。赤ちゃんを連れてきた子も6〜7人いました。名前を覚えてない人もいて怒られちゃって(笑)。あのときは、むちゃくちゃ感激しましたね。そのとき働いていた15人は、僕には何にも言わないで秘密にしてて、ただ「何日に送別会をするから来てくれ」とだけ。

 

◆それはすごい。送別会もすごいですが、送別会まで開いてあげたくなるようなコンビニオーナーがいるというのがまたすごい。今日の話のすべてが集約されました。

 

◇あとから考えてみれば、共に生活していたようなもので。高校生はほとんど地元の子だけど、大学生は地元じゃない子が多かったですから。採用したときは親に連絡して「お子さんお預かりします」と言って、病気したときは薬とか食料とか運んであげたりして。

 

◆東京のお父さんお母さんみたいなみたなものだったんだと思いますよ、彼らからしたら。

 

◇(送別会への参加費は)全部自費ですよ。今でもこのことを話すと涙目になるね。もうひとつびっくりしたのがね、閉店したときに周囲のお客さんから花束がたくさん来て、うちの家が花だらけになった。名前も知らないお客さんからも来た。花と記念品で60くらい来たかな!

 

◆開店するときはあんなに冷たくされたのに。閉店っていうのは、いくつまでって決めてらっしゃったんですもんね。

 

◇65でやめると決めていました。閉店して、改装して、次の人に渡して、24年の幕が下りました。

感想? 短かったねえ。やっぱり、自分の組んだ戦略が活きてくると、それだけでおもしろくなっちゃう。ただね、途中で家内とケンカもありましたね。ダイレクト・メールをやるとき、ヤマト運輸のメール便はまだなかったので、郵便局だとA4のカタログを封筒に入れて送っていたんですが、それが高くて。お中元とかのシーズンに15万円くらい使っていました。お中元とかお歳暮の平均単価って1個あたり3,000円くらいなんですけど、家内に、「お父さん、15万使うんだったら自分で15万円分買えば? 売上は上がるよ」と言われました。

 

◆目に浮かびます。

 

◇銀行時代とか商社時代のね、自負があったから。「何とかなる。絶対成功する」とは思っていたんです。そのときに「5年待て」と(家内に)約束したんです、約束の5年で実績が上がり、予約実績では地区一番を目指せるようにになった。セブンイレブンは全国で13,700店くらいですか。その中では恥ずかしくない位置にいたのではないかと思っています。。

 

◆リタイアして気が抜けたということはないですか?

 

◇いえいえ(笑)。リタイヤ後夫婦で四国八十八箇所遍路約1,300Kmを53日かけて歩き通しました。その事が心身共に更に強くしてくれました。その体験からの悟りが、人はいずれ死ぬっていうことなんです。時間以外に公平なものは何もない。空気でもお金でも水でもね、すべて公平じゃないんですよ。でも、誰であろうと時間だけは絶対に公平(に流れる)。だからとにかく時間を大切にしたい。夫婦で一生懸命働いてきて、子どもを育てて、そのあとは自分の時間を持とうぜと。だから、今は自分がしたい好きなことをしています。

 

◆そのなかに、コンビニを手伝うことが含まれている。

 

◇含まれるんですね、これが、ハハハ。

 

☆プロフィール

 

一柳義満(いちやなぎ・よしみつ)

1946年、愛媛県大洲市生まれ。高校卒業後、愛媛の地方銀行に就職し、10年間勤める。その後商社に転職し、日本各地で勤務。1986年にコンビニのオーナーとなる。64歳で店を譲り、引退。今夢中になっているのは、山登り、パソコン。70歳でもう一度、四国八十八箇所歩き遍路をしたいと言う。

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