第八回 もやし、古本、スクラップ

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東京東部の仕事人生、44年!

 

今回の登場人物

◇話し手 田中延幸(スクラップ業)

◆聞き手 北尾トロ

・写真=寺澤太郎

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九州で生まれ、高校の途中から東京にきた筆者が住んだのは多摩地区。以来、中野区、武蔵野市、世田谷区、杉並区、国分寺市と引っ越しを繰り返してきた。全部、東京の西側だ。東側のことは何も知らない。

田中延幸さんは、先祖代々東京の東側で生きてきた田中家の次男。スラッとした長身で、底なしの飲ん兵衛だ。「俺はもやしとスクラップしか知らないから」と言いつつ、歯切れのいい東京弁で64年の人生を語ってくれた。生意気だった学生時代のこと、家業のスクラップ業を継ぐまでの経緯(古本屋をやっていたこともある)、生まれ育った向島界隈の高度成長期と今。あちこち話題が飛び、ときには“おじいちゃん”を探しにきた孫に頬を緩めながら、やや早口で2時間喋りっぱなし。同席していた高校時代からの友人に「こんな普通の話でいいの? 酒飲んでたらもう少しおもしろい話ができたんだけどさ。俺、シラフでこんなに喋ったことないよ」なんて言う。でも、田中さんにとって普通のことが、ぼくの耳には新鮮だ。あたりまえのことのように繰り出されることばで、メモ帳はもう真っ黒になっていた。

 

ドヤ街、テキ屋、泪橋

 

◇わざわざどうもっていうかさ、俺、食べるもやしの業界かスクラップしか知らないからさ。そんなんでいいの?

 

◆はい、もやし歓迎です。

 

◇知り合いが会社をやってたんですよ。今はもうヤメちゃったけど。もやしの製造と卸し。

 

◆え、作るのも?

 

◇そう、作るんですよ。都内でやってたんですよ。もやしってのは屋内で一週間でできるんです。東京がもやし作りのメッカだったわけ。信じられないでしょ。この業界もおもしろいですよ。

 

――(友人)へえ。そんな話、聞いたことないね。

 

◇そうだっけ。ま、今日はこれ、取材ってことだから特別サービスだよ。

 

◆もやし話は後でじっくり伺うことにして、お二人は高校の同級生と聞きましたが。

 

◇そう、クラスも一緒。だから地元も近い。自転車で20分くらいか。それからずぅーっと、16からですよ、16から。

 

◆そういうずーっと付き合ってる友達とかけっこう多いですか?

 

◇けっこういますね、今だにつき合ってるね。

 

――今日も夕方から一杯やるんですけど、そういうのがまぁ、最低4人はいますよ

 

◇この人は出歩くの好きだから、だって今無職だもんな。

 

――うん、無職。

 

◇せがれに(経営していた喫茶店を)乗っ取られたんだっけ?

 

――乗っ取られた、長男にね。

 

◆ぼくから見ると、ふたりとも代々この辺で、江戸っ子っぽく見えます。

 

◇いや江戸っ子じゃないよ。江戸っ子は神田の方だもん。こっちは山谷の生まれで田舎もんだよ。うちの親父の実家は明治時代、八百屋やってたの。ちょうど泪橋の交差点とこ。

 

◆『あしたのジョー』の泪橋だ。

 

◇そうそう。俺がガキの頃は、ドヤ街、半端な人数じゃなかったからね、8000人から1万人はいたよね、そこらじゅう、追いはぎがあってな。真っ裸で、こんなんなって寝てるもんな。見渡すかぎりなんだもんな。俺なんか慣れちゃってぜんぜん平気だったけどね。知らない人は怖くてあの通りを歩けない。

 

――俺なんか、家が吉原の方だったから、慣れてなくて怖かった。

 

◇当たり屋がいたの、当たり屋。

 

――いた! 交差点のとこにいて、車が止まりそうになってるとこに、ぶつかっていくわけ、本当に当たったら痛くなっちゃうから、速度が弱まってるときに、ボーンと当たっていくわけ。

 

◇20歳くらいのときかな、暴動が凄かったよな。しょっちゅう停まってたよな、機動隊のバスが。ドヤ街にもやっぱりね、組合があるんですよ、労働組合が。その労働組合の連中とヤクザが、いっつも喧嘩するわけ。ヤクザは労働者集めてピンはねするわけよ。現場現場で派遣して、賃金5000円だったら4割の2000円も搾取しちゃうんだから。で、組合が怒っちゃって絶えず衝突してね、放火騒ぎなんてしょっちゅうあったもんね。

 

――マンモス交番なんて襲われてたもんね。

 

◆交番が!

 

◇ヤクザより労働者の方が断然多いから、逆に追っかけられてたよ。みんな捨て身だからね、失うものないから。いろんな業者が集まってて本当に面白かったよな。

 

――うちの周りは、テキ屋が多かった。

 

◇発祥の地だもん浅草。だいたい、浅草弾左衛門っていたでしょう。浅草弾左衛門ってのは、他の大名より金持ってたんだから。で、徳川の将軍から土地も与えられてたんだから。

 

――小さい頃は縁日が楽しみだったね。

 

◇だいたいクラスに1人くらいテキ屋の息子いたよな。羽振りがいいんだよな。持ってる金が違うんだから! いまでも羽振りのいいのが知り合いにいてね、正月だけで1年分稼ぐって。大きなお寺の境内で煮込みやってるんだけど、使う量がハンパじゃないんだってよ。正月だけで3トンぐらい使うんだって。清潔にしてて、常連さん達が何十年も毎年来るんだって。ちゃんとタッパー持って、帰りにお土産買って行くんだって。

 

――酒も出るだろうしねぇ。そう年中行くところじゃないからね。ちょっと酔っぱらって帰ろう、とかあるよな。

 

◇儲かってしょうがないってよ。だってワンカップ1杯400円か500円くらいで売るんだぜ、ボロ設けだよ。だから仕込みが大変で、そばに貯蔵のためのでかい冷蔵庫借りてるって。いろんな商売あるんだよ。俺はそういう才覚ねえからよ。

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東京産“もやし”で大忙しの頃

 

◆暖まってきた感じですので、順を追って聞いていきますね。ノブさん(田中さん)はスクラップ業が本業ですよね?

◇そうですね、(扱うのは)ほとんど鉄ですね。たまに、ステンレスとか真鍮とかアルミがありますけど。いやもうね、小さな町工場のネジ屋さんとかあるでしょ。あと型屋さんね。ゴム型とかプレス型そういうところから削った屑が発生して、それを取りにいくんですよ。

◆このあたりに多い町工場が取引相手。

◇多いですね。でも大半ヤメたけどね。こっちなんてガラガラですよ。工場が更地になって、みんな建て売り住宅になる。ヤメられる人はまだ良くてさ、みんな借金があるからヤメられないの。

うちは親父の代からで、兄貴が2代目だけど、今は兄貴がほとんどやらないから(自分がやっている)。だって2人でやるほど仕事ないんだもん、1人で間に合っちゃう。

◆親父さんが始められたのはいつごろ? 戦後ですか?

◇(親父は)84歳で死んで、今年13回忌だから(指を折りつつ)、創業60年くらいになるね。

◆ノブさんはいつから、手伝うようになったんですか?

◇もやし屋ヤメて、23歳ぐらいか。それから一度家を出て、かみさんの実家で、古本屋やってたんですよ。神田の古書会館の近くで。ここの(家の)亡くなったおじいさんが和本専門なんですよ。和本専門で、書道本とか歴史本とかそっち専門だったんで、そのおじいさんがやらないかっていって。10年くらいかな、古本屋やってたんですよ

◆古本屋だった時期もあるんですか。あと、結婚も早々に。ちょっと整理させて下さい。高校出ますよね。それからもやし屋?

◇そう。知り合いがやってたのを手伝いに行ってた。

◆実家から通ったんですか?

◇いやいや住み込み。もやし屋は朝2時からですからね。冬なんか、もやしを素手で洗うんだから。そのうち、1時間くらいやってると手があったかくなってくる。

◆あまりの冷たさで。

◇あれはやった者でないとわからない。昼間じゃ仕事できないしね。もやしは陽を浴びちゃいけないから、(作業は)日陰、まぁ夜。今は立派な施設を作って手作業が減り、昼でもできるようになっているのかも知れないけど、高度成長期はそうじゃなかった。

◆産直としては、収穫してすぐ市場に出すのが理想です。

◇そんで朝一番で市場まで。車は5〜6台あったから、2トントラックに山積みして、手分けして千住市場や築地市場に卸すんですよ。で、午後からは配達がある。ラーメン屋さんとか。そこに大袋で置いてくるわけ。そんで3時頃には終わって、一杯やって寝るんだから。半端じゃないでしょう。あれほど日銭が入ってくる商売はそうない。俺は大学をクビになって……。

◆え、大学も行ったんですか。計算が合わない……。

◇推薦で亜細亜大学行きましたよ。高校も推薦なんすよ。俺、受験勉強ってした事ない。そうしたら同級生で三人(志望校に)落ちたのがいて、「田中どこ行くの?」って言うから、「亜細亜だよ」って。「じゃあ俺もそこ行こう」って。

◆ははは、みんな来ちゃった。

◇そう。だけどあそこは遠いよ! 武蔵境まで1時間40分くらいかな、それでやんなったね。途中下車でどっか行っちゃうもんな。新宿とか。あの当時はまだ吉祥寺なんてな。

――あまり発展してなくて、駅前が普通の家だったもんね。武蔵境なんていったら……。

◇武蔵野の方面はさ、田んぼじゃなくて雑木林だもんな。俺とかは町育ちだからさ。(友人を指し)コイツの実家なんて吉原の隣。商売やってて、子どもの頃から吉原なんかに出前の手伝いして育ってる。俺にしてもゴチャゴチャした町で育って、それがいきなり武蔵野だよ。大学行こうとしても途中で、新宿で降りちゃうんだって。それで月謝全部使っちゃったんだよ。月謝未払いで「退学しろ」って家に連絡が来ちゃったもんだから。

◆ははぁ。それでノブさんは20歳になるかならないかの頃からもやし屋を手伝うように。昭和22年生まれということは、昭和40年代前半。西暦でいうと1960年代後半に差し掛かるあたりですね。

◇そうそうそう。

◆儲かったっていうのは、ライバルも少なかったからですか?

◇少ないですね。東京で2〜3軒しかなかった。今はほら、日本で一番でかい成田(食品株式会社の)もやし。よく見かけるでしょ。あれなんか当時は全然小さい会社だったからね。今では日本一になったけどさ。

◆もやしが作れたということは、水が良かったということですよね。

◇うん。地下水を大量に使うから、当時は良かったってことですよ。その後、周りに工場が建ってきて、地下水が良くなくなったの。もやしは水が命だから、その後は郊外へ移っていくわけだけど、かつてはもやしの産地だったんだよ、このあたり。

しかしいい加減な時代だったよ。地下水を黙って使って、それが発覚して罰金とられるなんてことがあったり。東京は地下水引いちゃいけないんだから! みんなアレだよ。もうさ、その頃のラブホテルなんか黙って地下水掘ってるんだから。

◆それはすごい。

◇10人くらいでやってたかな。一番儲かるのは、食べるゼンマイってあるでしょ。ゼンマイが一番儲かる。あれをお湯で増やして足で踏んで柔らかくするの。それを袋詰めして市場やなんかに卸すの。ゼンマイは新潟の小出にある取引所から入札で買ってくるわけ。でもまあ、もやしだけじゃなくて、あの時代はなんの商売やっても右肩上がりだったね。

◆高度成長期の後半に育った、いわゆる団塊世代ですよね。

◇そうですね。だからこれから葬儀屋さん儲かりますよ。予備軍がいっぱいいるんだから。あれ、こんな話しちゃいけないんだ、ははは。

で、もやしやって、20代の後半で家業の方に戻ってきたんですよね。しばらく家の仕事(スクラップ業)やってたんですけど、じいさんが古本屋やってみないかって言うんで、それも10年くらいやってたかな。

 

古本屋だった時期

 

◆いつの間にか結婚してます。あと、じいさんというのは?

◇うちの奥さんの親父。俺は28で結婚したの。もやしの後だね。それでさ、和本なんだよ扱うのが。戦後の本とかじゃない。戦前のいわゆる黒っぽい本でもない。和綴じの本格的なヤツ。あれは全然わかんない。でまあ、わかんないなりに、じいさんについて勉強してね。うちのじいさんはさ、組合の理事長やってたんで、俺は見習いですよ。プロはさ、神田の連中はみんな目利きが凄いよ。仕入れは古書会館行って買わなきゃいけないでしょ。東部市場ってあったんですよ、去年無くなっちゃったけど南千住にあった。東京にはね、神田を中心にして、南部が五反田、北部が池袋、東が南千住だったの。そこを回ってさ。

◆もやしから古本。別世界ですね。

◇コーヒーでも入れようか。(席を立って)この家、建て直してから俺ひとりで3階を使ってるんですよ。だからこういうことも自分で。で、何だっけ、古本だ。あんなもんがすごい金額で取引されてる。全盛期のときは儲かるもんだから、百貨店の祭事――5日くらいの古本市でさ――古本屋が20数軒入る特設会場で、京王、小田急、みんなやってた。

◆店はどこにあったんですか?

◇じいさんは店持ってなかった。店無しで目録販売。本が集まると目録作って売るんだ。いろんなお客さんがいるんだよ、日本全国に。大学の先生とかさ、本集めてる人とかさ、そういうとこに目録送ると注文が来るわけ。掘り出し物もあったね。じいさんは、野田の方の古美術かなんかの、よくそういう所に顔を出すのよ。倉庫の中にゴロゴロ転がってるんだって。こんな小さい巻物、掛け軸ね。それを二束三文で買ってきて、どう見たって値打ちもんだと。神田で年に何回かお市があるわけ。そこに出したんだけど、そしたら600何万の値がついたり。本物だったわけよ。ほら、コーヒー。俺が淹れたので良かったら飲んでください。

◆いただきます。

◇もっとうわてもいてさ。本郷の有名な古本屋さんがあったの。そこの主人は、東大出てたんだよ。この方は偉いんだよ。国文学出てるから、いろんな字読めるんだよ。和本はちょっとかじった人でもわからない世界なんだけど、この先生は目利きが凄いんだよ。じいさんのを600何万で買ったのがその先生なんだけど、そいつを何千万で美術館だか何だかに収めちゃった。だから和本は一発当たると止められないみたいだよ。そこ(うちの近所)の堀切菖蒲園の古本屋は、2回くらい新聞に載った。生原稿発掘して。神田にさ、こんなダンボールでさ、いろんなの入ってる箱があるわけ。そん中にたまたま入ってたんだって。

◆ノブさんは仕入れの他に何を手伝っていたんですか。

◇行商してた。ホームセンターとか行って。あの当時は売れたの。本当に売れた。マンガと、普通の白っぽい本ばかりでも飛ぶように。いっぱい置いて並べて置いておけば売れるんだよ。人が集まってくるんだから。それでじいさんが亡くなって、俺じゃ和本扱えないからヤメたんだけどね。あ、一時、ここの近所でも店やってたことがあった。バス停の前だからいい場所だと思ったら、これが全然売れないの。バス待ってる人は本なんか読まない。古本屋覗こうって気にもならない。驚いたねえ。まるで売れない。それからちょっと建築会社にいた時期とかあって、37歳か38歳の頃、家業に戻った。兄貴が1人で辛そうだから手伝ってくれって。また手伝いだよ。もやし、古本、俺は手伝ってばっかりだよ、ははは。

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スクラップ業はラクじゃない

 

◆わりと成り行きまかせの人生ですね。

◇そうなんだよ。でもラクしてたわけでもないよ。このスクラップの商売は、ド素人がしたら一日で逃げ出すよ、辛いから。われわれはコツわかってるからできるんです。

◆どのあたりが特にツライとかありますか。

◇(工場など)狭いところはドラム缶に入ってるわけですよ。細かい切り粉(研削や研磨の際に発生する切り屑)が入ってるドラム缶は、一缶250キロもある。俺、それ平気で動かすからね。うちのせがれなんて、俺よりガタイ良いけどできない。手伝わせてたら、一回ドラム缶につぶされちゃったんだから。

◆まず重いのが辛い。

◇あと夏場はダメ。じっとしてるだけで暑いんだもん、動いたら半端な暑さじゃない。夏は嫌だよ本当に。この業界が働きやすいのは冬だね。

◆簡単に仕事の流れを教えてください。ノブさんが扱うのは?

◇金属だね。このあたりにはかつて町工場がたくさんあって、鉄屑だの切り粉だのがたくさん出てたでしょ。我々はそれを買い受けて、今度は買い取り業者に運ぶ。まあ、言ってみれば、その手間賃をいただく商売。この説明でわかる?

◆テープで「不要品引き取ります」と流しながら町を回り、個人から買い取る業者ではなく、専門業者を相手にする業態なんですね。

◇工場から電話がきますね。で、取りにいく。でも今は電話が来る前に自分が暇だから見に行くわけですよ。「溜まったらとらして下さい」と。だいたい10年周期くらいで、値段がまるっきり変わっちゃう。相場が。今は、紙の方が高いんだからね、鉄より。ひどいときは切り粉1トン=2000円ですよ。だから逆に工場からお金もらうんです。とても払えないし、払ったら暮らせない。500キロくらいあると、工場から手間賃1万くらい頂いて、1000円で売る。そうしないとやっていけなくなってる。

◆相場は上下が激しいんですか。

◇けっこう変わるね。

◆安く買い取って高く売るのが、スクラップ業者の醍醐味ということに?

◇理屈じゃそうなるかもしれないけど、俺なんかは細かく相場をどうこうするより、ドンドンさばきたいほうだね。モノをストックしようとすれば場所代もかかる。上がればいいけど、下がることもある。むしろ安定しているのがいいよ。切り粉1トン=2000円でも、いまは安値だけど安定してますから。いいときは、同じものが1トン=5万以上したもんです。

◆それくらい上下するのがこの世界。ノブさんが納めたモノは、その後どうなるんでしょう。

◇俺は中間処理業者に出すんです。そういうところには、みんな商社がついてる。そこから、ほとんど電炉のメーカーですけどね、そういうところの製鋼所に納めるわけです。ダイワ製鋼、大三製鋼、船橋の合同製鐡。あとは栃木の会社か、電炉のメーカーで一番でかい東京製鐡。東京製鐡が値段を決めるんですよ。国内に工場が7カ所くらいあるのかな。この会社がH(形)鋼を造ったんですよ。そういう技術を持ってるんだよね。その材料として使うのが、スクラップ。

◆循環するわけですね、製品にして。

◇今はあれですよ、中間業者も中国からけっこうまた注文が来だしたって言うから一息なんじゃないの。来ないと値段がガーっと下がっちゃう。中国が来てくれると船積みがあるから、値段が上がってくわけ。

◆製鋼所や中国に出すのは中間処理業者。ノブさんは常に取引している中間処置業者、決まったところに納めるわけですね。相場があるから、今はアルミがいいとか、あるわけですよね。そこに絞って……。

◇そんなに都合良く集まったら苦労はないって。

昨日はステンレスをちょっとやりました。ステンレスの中間業者、だいたい関東で大きいところは3カ所ある。渡邊兼作商店、ミリオン合金、後藤商店。後藤商店が一番古いんだけど、昔はヒドイもんだよ。もともと本町にあったんだけど、俺がガキの頃なんかさ、道路端にスクラップ放置してたんだから、ははは。そういう事が許された時代だった。

◆この3社はステンレス専門なんですか?

◇ステンっていうかニッケル関係だね。ステンレスっていうのはニッケルが入ってるわけでしょ。あと特殊金属もやってますよ。チタン系とかそういうのはみんなステンレス業界が扱いますから。普通の非鉄屋さんは銅とか真鍮、アルミ、そんなもんですよね。うちはステンレスのときは、渡邊兼作商店に持っていきます。

◆何が出てくるかによって、持っていく場所が変わってくる。

◇スクラップにもいろいろあるんですよ、切り粉、材料を切った端、プレス屋さんの抜いた鉄板のスクラップ、だいたいこの三種類ですね。建物壊すときに出てくる鉄材とかをメインに扱うところもある。

◆そこにお金を払い、相場によってはお金をいただき、中間業者に売るのが仕事。世の中の動きと凄く敏感に関係してくるんでしょうね。

◇してますね。建築が悪ければ、鉄筋材は売れないし、H鋼も出ないし。決算見たってさ、製鉄会社全部赤字ですもん。円高でさ、新日鉄なんか輸出するのヤダって言ってるもん。出せば出すほど赤字でしょ、企業も困るよ。

◆お父さんの時代なんかは時代の景気にあわせて、出てくるものが多いから商売としてもよかったんですか?

◇あの時代は高値取引があったね。ずーっと何十年も。工場がそこらじゅうにありましたもん。

◆ライバルもいっぱいいたんじゃないですか?

◇いました、いっぱいいました。今もうほとんどいなくなっちゃった。もう歳でしょ? ひとりでやってる方が多いから、こないだヤメた人なんて79歳ですよ。

跡継ぎ? 儲からないから継がせないですよ。うちが行ってる取引先の80パーセントは、跡継ぎいないね。息子がいたってサラリーマンになっちゃってますよ。だから、そこがヤメたらうちもコテンとなる。

 

◆ノブさんも息子さんには継がせないと。

 

◇まあ、無理だって。工場がなきゃしょうがない。長男坊が一緒に住んでるんですけど、あれは、建築金具を自分で制作してるんですよ。下(の玄関)にドアあったでしょう、あのドア一枚100キロあるんですよ。あれ、長男が作ったの。真鍮製ですよ。もう独立して10年以上になるかな。毎日帰ってくるの10時ごろですよ。でも儲かんない儲かんないって言ってるねえ。

 

◆お金も仕事もうまく回ってないですよね。

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父の思い出〜放射能汚染スクラップ

 

◇そうだ、後でさ、うちが持ってく中間業者のスクラップ写真撮る? 今日は休みだけど、表からユンボかなんかも置いてあるのが見えるから。

◆ぜひお願いします。えーと、お父さんの思い出など教えていただけますか。

◇スクラップ屋って脱税多いんだよ。すぐそこにあった会社も、新聞沙汰になったくらい。で、うちの親父なんかさ、一日の帳面間違えて税務署につつかれて。気の弱い男だったからさ、チャリンコで水戸まで逃げちゃったことがある。家族は自殺するんじゃないかと心配でもう寝られない。税務署からも呼ばれたな。所長から何回も電話あって。所長にしたら自殺されたら困るんだよ。悪いことしていたならともかく帳面を一日つけ忘れたみたいなことだもん……笑っちゃうよ。2日目にやっと帰ってきたよ。自転車でヘトヘトになって。帰りに納豆買ってきた。どこに泊まったんだかわかんない。

◆……いい話が聞けるかもと思ったんですが。話題を変えますか。トラックはいま何台使っているんでしょう。

◇3トン車1台しかないです。下町は狭いからロングボディの車は通れないとこあるんだよ。工場の中も入って行けないし。だから昔の低尺の3トン車。前は2台くらいあったんだけど、そんなに必要ないから。昔は、良いもんは(相場のいいときに売るために)うちに降ろしてたの。いまはさ、そんな事やってたんじゃ手間賃出ないもん。だからどんなに少なくてもすぐ持って行っちゃいます。

◆仕分けは工場でやってくれるんですか?

◇うん、だいたい日によって1点ものだから。切り粉なら切り粉、残材は残材。うちはやんないけど、建築とかだとね、家取り壊しとかだと木から何から、あれは大変。でっかい解体物とかだと、ユンボにハサミ付いてるでしょ? あれでバッチンバッチン切るからね。すごいですよ、こんなぶっといH鋼だってバッチンバッチン切っちゃいますからね。

でもまあ、昔を思えばラクだよね。若い頃はね……ヒドイんだよ。工場としては切り粉かなんか見えない所に置きたいわけよ。工場の裏とかに積んであって、担いで出したり、そんなとこばっかしだった。モノも多かったから完全な肉体労働。今はもう、たくさん貯めてもらうと運搬ができないから、昔の半分くらい(の量)。せいぜい長くて1時間くらいで(作業を)終わらしちゃって、実質1日2時間(労働)だからね。午前中で終わらせちゃって、あとは遊んでんの。

◆還暦すぎてガンガン運んでたら……。

◇カラダ持たない。いまでも積むのは手でやるから力がいります。

◆ノブさん、力は?

◇いやぁ、もうないね。一昨年に死んだ同業者で、4トンのトラックにマグネットが付いたのでやってた人がいた。小さなマグネットだから1回では掴めないんだけど、そういうのを使う人もいる。中間業者のとこで下すときは、でっかい強力なマグネットでやってくれるから、1〜2回で終わっちゃう。

◆磁石にくっつかないものは?

◇非鉄金属ね。うちが持ってく非鉄屋さんは、働いてる子がいっぱいいるから、われわれが担がないでも勝手にやってくれます。フォークリフトもあるから、みんなそれにぶっ込んで。

そうそうこないだ、原発事故の関連で、向こうの業者が非鉄金属を製鋼所に納めに行って、お持ち帰り。放射能が出たんだよ。放射能が入ってると釜がイカれちゃってダメなんだ。ここらの業者も、やっぱり地方行って引き取ってきて納めようとしたら、放射能で引っかかったって言ってた。しょうがないんで、また持って帰ってきたってさ。放射能が出たら、高圧洗浄のあれで水洗いするしかない。除染。今はみんな最初に調べて、ちょっとでも反応出たらお持ち帰り。だから原発近くのガレキは当分スクラップにできないよね。汚染されすぎてて処理できない。

◆もし原発事故での放射能汚染がなければ、東北とか関東のスクラップ業者さんとかそういうところには、すごい仕事量が増えてますよね。もちろん製鋼所も。

 

町の栄枯盛衰と未来

 

◇この辺でも製鋼所がいっぱいあったんですよ。そこの船堀って(駅)あるでしょ。あそこにも船堀製鋼ってのがあって、今石岡にある千代田製鉄なんかもみんなこの辺にあった。亀戸には大三製鋼ってのがあって、そこで溶かしてたんだもん。すぐそこの橋越えたところの八広は、昔東町って言ってたんですが、あそこには東製鋼ってのがあったの。『三丁目の夕日』のちょっとあと、昭和40年代から50年代の一番景気の良いとき。ここに来るとき、シャッター商店街があったでしょう。あそこも縁日もあったりしてにぎやかだったんですよ。

――ちっちゃい頃はけっこうさ、街の風景でスクラップが山になってるのがあったよな。あちこちにさ。

◇工場もあって、製鋼所もあって、スクラップがすごく発生した。バブル時代の前までは、ここはそういう町だったんだよ。京成本線、乗った事ないですか? 京成本線に関屋って駅があるんですよ。青砥から出て上に向かうと、関屋から次の駅まで、左側に山積みになってましたよ、スクラップ。岡田商事っての、これが昔日本で一番でかいスクラップ屋だった。その隣の遊園地みたいになってるところに、かつて東京製鉄があったんだよ。

◆いまでは工場も製鋼所もスクラップ業者も減って、マンションが建ち並ぶようになった。

◇住宅街になっちゃった。工場も製鋼所も音がうるさいでしょ。しょっちゅう文句言われるわけよ。

◆音出さないって不可能ですもんね。

◇準工業地域だから法律的には、時間帯によって50から65デシベルまではいいんですけど、住民はしょっちゅう電話だよ。で、区役所は電話がかかって来たら見に来なきゃいけないんで、音量計持ってきて測ってる。

◆残業なんてできないですね、そうなると。

◇でもさ、ああいうところがヤメちゃったら(スクラップを)持って行く所がないからね。遠くまで持って行っても、足代にもならないもん。この辺の製造業者なんて本当に厳しいですよ。だからもう、昔ながらの商売は先が見えて、跡継ぎもいないわけだよね。

◆『三丁目の夕日』は過去になってしまった。暗い話が続きます。

◇結局ね、下請けなんかじゃ食っていけないんだよ、自分でものを作って売るしかないんだよ。

◆スクラップの次を考えているんですか?

◇ははは、違う違う。俺の頭じゃ何もできないよ。ただ、この町の将来を担う動きは、もう始まっていると思うんだよね。そこの、新しい橋を渡った交差点を越して、すぐ右っかわに有名な岡野工業っていうプレス屋さんがあるんですよ。型も自分で作って、痛くない注射針を開発したら、世界から注文が来る。新聞にも出る、テレビにも出る、昔小泉(元首相)さんも来たわ、石原慎太郎も見に来たわ。凄いですよ。NASAのものも作ってるし。他社にはできない技術があるから。どうやったと思います? 注射針って、みんなパイプで作ろうとするんですよ。液を通すんだからってね。そもそもそれが間違い。よその会社はみんな細いパイプから作ろうとしたのを、あのオヤジは板から作った。板を自分で型作ってロールにしちゃった。発想の転換なんだよ。オヤジ、中学しか出てないけど、プレス屋の発想でスゴイの作った。

◆そこまで特化すれば、商売はできるという見本。

◇町工場でもね。スプリング屋があるんだけど、そこのせがれも、デザイナーに相談して、なんか野菜挟むやつ、トング? それ(てのひらトング)を作って売り出したの。そしたら売れて。何かあるんだよね、技術が。あるいはさ、鉄板のアタッシュケースあんでしょ。鳩ヶ谷のプレス屋さんで渓水っていう会社なんだけど、一時、潰れたんだって。もうこんな下請けじゃ食っていけない、じゃあどうしようか。社長が趣味で、試行錯誤してアタッシュケース(エアロコンセプト)を作った。それをアメリカ人の俳優かなんかが持ってたんだって。その俳優が日本に来たとき話題になっちゃって、どこの会社のだってことになった。いまじゃ注文しても何年か待ちだって。イギリスの老舗デパードが置いてくれて、向こうでも高い値段で売ってる。ネジ屋もダメだけど、お得意さんで一軒だけ景気のいいところがある。そこはね、ほとんどデカいネジばっかし。デカもんのネジ。全体としてはダメなんだけど、勝ち残るところもある。特化した技術力を生かしてね。いいランドセル作って当てたところもあるよ。

◆ランドセルですか。

◇木下川はね、戦前は革屋の集積地だったでしょ、なめし革の。あと脂屋。革をなめしてると脂が出るから、脂屋も多いんですよ。革屋と脂屋。東京中の脂が集まるんですよ。そしていい脂はキャラメルの原料とか洗剤・石けんになる。だからライオンも花王もみんなそこにあった。革屋もずいぶん減ったけどね、みんな韓国に押されちゃって。

マクドナルドとかでさ、油使うでしょ? ああいうの専門に取りに行く会社もあるんですよ。あと食肉用の豚かなんかの脂身あるでしょ。それ専門の会社もある。肉の解体をするところのまわりにみんな集まるわけ。それから、ガラス屋さんが多かった。小さな工場とかいろんなところでガラス吹いてたね。墨田区はガラスの街だったんだ。

――吹いてた吹いてた。南千住は多かったよな。

◇水戸街道の向こう側にはね、ビニール屋さんが多かった。スクラップのビニールを集めて、また製品にするわけ。板状にして。そういう加工業者がいっぱいあったの。ダッコちゃんのタカラも、元々ビニール屋さんだもん。スクラップからロールで再生してダッコちゃんをつくったらあんなに売れちゃった。あ、そうだ。葛飾区はオモチャ産業。トミーやバンダイもここの出だよ。キューピーちゃんを作ったのは、セキグチってとこ。セルロイドのおもちゃを輸出してた。

◆へえ、そうなんですか。

◇そもそも、この辺はみんな沼地だったの。菖蒲だらけだった。堀切菖蒲園ってあるでしょう。あそこは江戸時代から続いてる大地主が寄付したわけよ。江戸時代の版画見ると、隅田川を渡ってみんな菖蒲園へ来てるんだよ。綺麗どころ連れて、そのまままっすぐ来られたわけよ。そういう沼地を江戸時代から宅地化していった歴史がある。

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バブルという転換点

 

◆戦後、高度成長に歩調を合わせて、工場や製鋼所、スクラップ業者が増えた時代があった。活気にあふれた時期を経て、ある業種は地方に拠点を移し、ある業界はじり貧に陥り。ノブさんはそんな時代の変遷を肌で感じながら生きてきて、どこがターニングポイントだったと思いますか。

◇商売がガラッと変わったのはバブルの前だよな。産業構造が変わった。もの作って売ってじゃなくなった。それが表面化したのがバブルの時期。金融とか、不動産屋とか、証券屋とか、銀行とか、何とかファイナンスとか生命保険とかが幅効かすようになっちゃって。その前くらいから、ビルがボンボン立っていくんだけど、あんときの鉄筋工の手間賃とか、今では想像を絶するよ。高いどころじゃない。ベテランになると1日最低5〜6万だから。人集めるのが大変だから、集めるだけで商売になる。その当時、関西から東京に職人がいっぱい流れちゃったくらいでさ。

◆製造業とともにやってきたスクラップ業者にしてみれば、地元をうまく回していたさまざまな業種が縮小する姿を同時に見ることになりました。それまで、生態系のようにリンクしていた町のありようが急速に変わる気持ちの悪さも……。

◇あったね。

――凄かったんですよ。(飲食店を経営していたが)フラフラでオーナーやってたからね。(ウエイターやウエイトレスはダサいと敬遠されたので)アルバイトの子もいないから、もうお客さん来ないでくれっていうくらいガンガン来ちゃう。まともじゃないけど、巻き込まれてました。

◇実家に戻って、スクラップ屋やりだしたでしょう。あの当時で見たら、破格の金もらってたんだよね。儲かってたから。大手のサラリーマンが20万くらいのときさ35〜36万もらってたもんな。だから俺らはしょっちゅうフグ食ってた。冬場なんか週一回食ってたもんな、ははは。

◆どこで食べるんですか。

――銀座。我々の世代、この辺で育ったら普段遊ぶのは浅草、贅沢するときは銀座だよ。慣れたもんだよ。高校のときから年中、なにかっちゅうと銀座なんだからさ、はは。

◇乗り継ぎがいいと30分くらいで行っちゃったからね。みゆき族、アイビーの恰好してさ、雨も降らないのに傘持ってよ。

◆VANの時代がありました。

◇全盛期だったからね。目当ては当然、買い物じゃないよ。女の子だよな。

――女の子引っかけに行ったりな。

◆俺はぜんぜんダメ。俺は引っかけたり、あんまりできなかった。で、彼女ができるとみんな離れていくの。女の子目当てで銀座に行くけど、まぁ酒を飲んでた。16から飲んでた。一番よく行った飲み屋はどこだろうな。なんとか画廊の下と、日比谷の三信ビルディング(2007年に解体)。あの中もよく行ったな。俺、痩せてんだけど、腹の肉とかとれないんだよ。これ1センチ四方100万以上かかってるよな。16から飲んでてさ、とんでもないカラダだよな。

◇いまでも飲まれるんですよね?

◆(テーブルの瓶を持ち上げ)今は毎日、この安いブラックニッカ。これ、二日に一本ないからね、俺。毎晩ベロベロ。

◇スクラップ業の忙しい時代にも酒は欠かさずですか。

◆うちの兄貴とね、親父と三人で現役でやってるときは、あともう1人職人がいて、朝8時から夕方4時半ごろまでトラック2台でフル回転だった。一日終わるとぐったりしてたもんね。それからバーっと飲んで。酒好きは血統。うちの親父、スゴイんだから。笑っちゃうのは、親父が現役でやってた、俺らがまだ高校時代のとき、コカコーラの車がうちに入ってきて、炭酸を10ケースくらい置いてくんだ。仕事から帰ってくるでしょ。親父はまっすぐ冷蔵庫へ向かい、冷やしといた炭酸にウイスキー注いでガーっと飲んでまた運転して行っちゃう。昔はみんな酔っぱらい運転普通だったし、汗かいたら酒なんか飛んじゃう。だからね、この辺の人はね、焼酎が薄いハイボール屋は行かないね。そこの角に小洒落た飲み屋があるんですが、薄くて飲めねえよ。高いんだよ、一杯500円で氷ばっかし入れやがってよ。氷とると、中身こんなもんしかないんだ。もともとのハイボールは、氷入ってないからね。ハイボールを作ったの、三祐酒場って飲み屋なのよ。あそこが最初につくった。

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“つきあいきれない世界”

 

◆スクラップ業界の取引は、どのように清算するんですか?

◇うちらの業界は必ず現金だから。支払いは全部現金。

◆え、その場でその日にですか?

◇まとめてもらってもいいし、その日にもらってもいいし、この業界全部現金。トラックつけるわけでしょ。目方計ってすぐ降ろして、車両の目方を測って、その差し引きでトン数が出る。3〜4年前かな。中国が買い占めしてるとき、ステンレスがめちゃくちゃ値段あがっちゃったのよ。板もんで、トン45万円くらいまで行っちゃったんだよ。そうするとさ、たくさん出るとこはさ、5トンくらい持って来るわけじゃない。それ現金でくれるんだよ。金庫の中に2000万置いとかないと支払いできないって言うんだからすごいよな。それでも足りなくなったり。でね、ステンレスのスクラップが45万したとき、ニッケル100パーセントのスクラップ、キロいくらだと思う? 3000〜4000円だよ。1トン300〜400万円。

◆そういう相場の上下ってのは、売りに行って初めてわかるんですか。

◇ステンレスの場合、うちのお得意さんは「明日から下がりますよ」って電話くれる。

◆今日と明日じゃ違うんですね

◇2日くらい余裕もってくれるのね。今だに銅は上下がすごいよ。商売やりにくいよ。問屋が困るよ。問屋さ、今日はトン60万で買いました。それが一日でトン8〜9万下げられてみな、たまんないよ。今あれだもん、銅の相場ってギャンブルだ。穀物相場と同じだよ。もう投機だもん。だからニッケルもそうなの、全部投機でやられてる。原因は中国なんだよね。15〜16年前は、ステンも一年中同じような値段で、10万なら10万で、ずっと安定してた。

◆町の小さなスクラップ業者には、つきあいきれない世界になっているみたいですね。

◇俺、ずいぶんしゃべりすぎたな。

――ずいぶんマジメに話してたもんな。じゃ、俺はいったん帰って出直すよ。夕方、一杯やりに浅草の店に行くから。

◆じゃ、あとでまた。

さてと、中間業者に案内するよ。切り粉とか言っても、見ないとわかんないだろ。歩きでいいよな。3トン車でないと仕事ができない、下町の道の細さも知っといてもらわないとさ。

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★プロフィール

田中延幸(たなか・のぶゆき)

1947年東京生まれ。19才の時から、もやし業界、古本業界、スクラップ業界を渡り歩きながら、東京東部の栄枯盛衰を見つめてきた仕事人。

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