第十回 髪を切ることは人生とつき合うこと

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新高円寺の床屋さん

◆話し手 天宮文代

◇聞き手 北尾トロ

・写真=寺澤太郎

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 多くの人が定期的に訪れ、無防備な態勢で身を任せながら、髪型を整えてもらう。遅い人でも中学生あたりからそうなって、頭部から毛がなくなるまでその習慣が続く。月に一度だとして年間12回、50年で600回、我々は理容店や美容院の世話になる計算。引っ越しさえしなければ、多くの人はいつもの店へ行く。いちいち説明する必要がなく、髪の質やクセをわかってくれているからだ。世間話など交えつつ、気分さっぱり髪すっきり。かくして我々はいっぱしの常連客になって行くのである。

 地下鉄丸ノ内線新高円寺駅からすぐ、青梅街道に面した場所で営業する昌平理容店の天宮文代さんは、長年に渡り髪の毛を通じてお客さんと触れ合ってきた。大半は地元客で、数十年通う馴染みも多い。子どもの頃から通い、社会人になって高円寺を離れても、わざわざここまで整髪に通う常連もいるという。

 そこにあるのが当たり前で、誰も気にせず暮らしていることが穏やかな日々の象徴でもある理髪店の日常。小さな、味わい深い物語を、実際に整髪してもらいながら聞くことにした。

 

高円寺、いまとむかし

 

◆普段お客さんとしゃべるような形でやっていただければけっこうですので……といいつつわざとらしくなっちゃうんですけど、開業されたのはいつ頃でしょうか?

◇昭和35年くらいだったと思います。といっても、当時は私、ここにいませんでした。主人がやっていたということで。主人の実家は、この商店街をずっと入ったところにありました。いまは飲み屋兼食事処になってますけど、そこで生まれ育って、おじいちゃんが床屋をやっていたんです。右から天宮理髪舗と書いてあるような古い店でしたね。もう1軒、青梅街道沿いに支店があって、そこに銀行が建つのにともなって移転したのがここ。私は再婚してここへきた当時は店にかかわっていませんでしたが、子どもも生まれたことだし、人手不足だったこともあって(店を一緒に)やるかってことになったんです。

◆なるほど、地方から出てきて地元の方と結婚したんですね。ご出身はどちらですか?

◇四国なんです。宇和島というところ。私はもともと、美容師になろうと思って四国で勉強をしてたんですよ。そしたら美容院ってのは私の性に合わなくて、これは床屋のほうがいい、床屋のお店を出そうと。そう思ったので、床屋になるため学校に行く目的で東京に来たんです。でも、そうなる前に主人と知り合って再婚したので、実際に免許取ったのは58歳のときでしたけどね、あはは。

◆出てきた東京でご主人との出会いがあり、出産があり、天宮理容店を手伝うようにもなり……。

◇(急に仕事口調になって)どのくらい切ります? 耳は?

◆そうですね。耳にかかるくらい。

◇ちょっとかかればいいですか?

◆ええ。後ろも短めにしてください。

◇刈り上げない程度に短くですね……ん、ここ(後頭部の下のほう)につむじがある。そうすると、あんまり短くしても駄目だわね。

◆……おまかせします。ところで昭和30年代の高円寺はどういう雰囲気だったんでしょう? いまとは相当……。

◇まったく違う。変わりました。昔このあたりに住んでた人がたまに訪ねてくると、変わってしまった商店街のことを、情緒がなくなりましたねって言います。もう昔の雰囲気は全然ない。JRの駅からウチにくる途中だって古着屋だらけになっちゃったでしょ!! 昔はね、豆腐屋があったり、古道具屋があったりとか、めいめいそれぞれが持ち家だったからね、地元の人が利用するいろんな個人商店がありましたよ。

◆新高円寺界隈はもともと住宅地だったんですか?

◇そうそう、そうですね。じゃあ切っていきますよ。

◆あ、はい。青梅街道もこんなに広かったんですか?

◇そんなに広くなかったと思います。ここはね。都電が走ってたそうです。

◆え!?

◇主人がまだ大学生くらいのときまで、あったんじゃないでしょうか。主人が昭和9年生まれでした。そして大学生のころはまだ走っていたんだと思います。地下鉄ができたときになくなったんじゃないでしょうか。

◆丸の内線だ。都電と入れ替わるように地下鉄が走った。

◇新宿の二幸(現・スタジオアルタ)ってご存知ですか? 二幸の前から、荻窪まで都電が走ってたそうなんです。私がきた頃も、交通量がいまほどじゃなくて、のんびりしたところがまだ残っていました。青梅街道も、いまほど広くはなかったですよ。

◆さきほど美容院が合わなかったと言われましたが、何が違うんですか?

◇2年ほど宇和島で働きながら、通信(教育)を受けてたんですけど、美容院ではね、仕事をしている間中お客様が家族それぞれの悪口ばかりを言っている。それをこぼしに来る場所なのでしょうけどね。お客さんはストレスの解消になるかもしれないけど、こっちはいっぱい詰まっちゃうの。かといって、いい加減な返事はできないしね。私は正直すぎるのかもしれませんがね。だから私、女の人相手はヤだって思い始めたんです。男の人相手の商売のほうがスッキリしてていいかなって。

◆男は口数少ないですもんね。

◇いいえ、とっても面白く、笑わせてくださる方もいて、たまに笑いすぎて泣いている時もあります。あと、一番大変だったのは、薬ばっかり使わされるんですよ、美容院は。ロット巻きっていってね、薬を使って巻くことばっかりやらされるんです。私(皮膚が)弱いもんだからね、手のひら穴だらけになったんです。また巻こうとすると、そこに薬がしみるでしょ。はらわたえぐられるほど痛いのを我慢しなきゃいけないんです。そんなことで、美容室を諦めました。

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床屋とは、町の社交場だった

 

 昌平理容店で働きだしてから、かれこれ45年。ドアを開けると待ち合いスペースがあり、その奥に4席のこじんまりした構え。ご主人亡き後は最奥の2席を使用せず、予約制に切り替えている。古くは都電、現在は丸ノ内線で新宿と結ばれた新高円寺はその便利さから人気のエリアだが、それだけに商売をするには中途半端な地域でもあるという。天宮さんがご主人から聞かれたところによると、ちょっとした買い物をするときは新宿に出てしまうため、高円寺で商売がうまくやれたらどこへ行っても成功すると言われるほど、商売するには難しいところだそうだ。昌平理容店がオープンした昭和30年代に元気だった個人商店も店を畳んでテナント貸しするところが多くなってしまった。といって、新しい店が順調なのかと言えばそれも違う。入れ替わりは激しく、土地に根付く前に姿を消すところがほとんどである。持ちつ持たれつで一体感のあった住民と商店の関係も消えてしまった。

 が、すべてなくなったわけではない。町における理容店の役割、いまなお残る常連客との人間味あふれる関係、若い理容師を育てるシステム……。サクサクとハサミを使いながら、天宮さんから意外な話が速射砲のように出てくるのだった。

 

◇昔は床屋っていうと、集まっていろんな事の情報交換の場所だったんです。だから待ち合い室が広くて、碁だとか将棋だとかがいっぱい置いてあって。お客さん同士が待ってる間にコミュニケーションとりながら、町の話とか、自分たちの話とか、いろんな話をして、待っていたんです。今の人は待たないですけどね。髪を切るだけの場所になってしまいましたが、昔はそういう場所だったんです。

◆子どもの頃、日曜日の午前中とかに床屋に行くと、おじさん達がいっぱいいたのを思い出しました。居合わせた人たちがよもやま話をしている光景。

◇でしょう? 意見交換したりね、だから世の中のいろんな事がわかったんです。

◆お洒落なおじさんになると、髭だけ当たってくれなんて言う。

◇シャンプーだけとか。お年寄りがお洒落でしたよ。セットだけしてとか、あか抜けた方もいて。いまはそういうの皆無です。

◆あれには痺れたものですが、ついでに世間話をしたい気持ちもあったんでしょうね。

◇もっと昔はね、床屋は外科もかねてたんですよ。

◆それは知りませんでした。

◇床屋の店頭にクルクル回ってるのあるでしょ。赤と白と青でしょ。あれ(赤色)は血液を表してるんです(注:青は血管、白は包帯と言われる)。サインポールって言うんですけど。

◆お客さんたちの交流の場として店がある。そして、常連になると長い付き合いが始まる。個人商店はどこもそうかもしれないけど、理容店が独特なのは、何かを売るんじゃなくて、カラダの一部を通じて客と付き合うことです。理容師だと髪の毛を通じて、ああこの人も薄くなってきたなとか感じるんですかね。

◇ははは、それはありますよ。とにかく、いろんな年代、職業の方がいらっしゃるから。ウチは古いから、だいぶ亡くなられましたよお客さんも。

◆あの人最近こないとなると、体調を崩しているのかなと心配になったり?

◇いやいやたいていね、最期のおつきあいは、ちゃんとやります。動けなくなって、寝たきりになっても、しっかり刈りに行ってあげます。

◆エッ、家まで行くんですか?

◇その代わり、長年おつきあいしていただいた人に限りですよ。出仕事(出張)って大変なんですよ。その家に縁側があったら、その縁側で椅子に座ってもらい、いろんなお話しながら刈らせていただいたりとか、寝たままとか。あと、出仕事はひげ剃りはないのですが、「おかあちゃん髭剃ってほしいな」って言うから、いいよって、相手は寝たまま膝枕で髭を剃る。「おじいちゃんこれでいい?」っていうと「いいよ」って嬉しそうに、にっこり笑ってました。そのおじいちゃんは、それが最後(の散髪)でしたね。

◆……。

◇「おかあちゃん気持ちがいい」って言いました。で、終わったら涙ポロポロ転がしてね、「ありがとう、気持ちよかったよ」って。それが最後でした。やっぱりそういう事を経験するとね、うちに来て頂いてる人は、私の体が続く限りは、できれば最期の最期まで見てあげたい。そういう気持ちになりますね。こっちの体が続く限りですけど。長い間助けていただいたのですから、ほんの少しだけお返しがしたいのです。

◆いまどき、そういう付き合いできる床屋さんも少ないんじゃないでしょうか。

◇最近の床屋はあまり出仕事しませんからね。いまどき私くらいじゃないですか? 道具もお湯も蒸しタオルも、私が行ったからって何をしてくださいって手を煩わせる事はいっさいしないという事で行きますから。お湯はポットに湧かして行くし、蒸しタオルはレンジでチンして冷めないものにちゃんと入れて持って行きます。髪の毛は新聞紙をいっぱい持って行ってね、新聞紙を敷いてそこに座って頂いて、くるんで一本も落とさないで帰ってくるんです。本来は出張すると料金が割り増しになるんですけど、私は高くとれないんです。やっぱし人情をすぐ入れちゃうんですね。「出張料金なんかいいですよ」って。「気持ちよかった」って言ってくれてそれだけ私はもうね、「お金いいや」と思っちゃう。そうしたら、お客さんが必ず、「いいからいいから」ってね。

◆髪を切ることを通じての、人と人の付き合いですね。そこまでやるには、少なくとも10年20年の。

◇そうですね、長いつながりです。

◆店とお客さんの信頼関係がないと。

◇心もつながりです。

◆心がつながるまでには、お互いを知るための時間が必要だということですね。理容店の場合は髪の毛を切る・切られるたびに少しずつ積み重ねられていく人間関係があり、ときとして切る側は、お客さんの人生の節目に関わることもある、と。

◇自然とね。理容店は地域に根ざした商売だからでしょう。

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インターンの若者と「部屋」からやって来た職人たち

 

◆一種の社交場となっている一方で、店は若いインターンを育てる教育の場でもありますよね。昌平理容店にも見習いがいましたか。

◇住み込みのインターン、いましたいました。でもね、ちゃんとお店でインターンして(一人前に)出来上がって、お店出しますからって辞めていく人はほとんどいませんでしたね。

◆辞めちゃうんですか? それとも他店に移る?

◇学校行ってる間はいいんだけど、出てもすぐには仕事なんかできない。ある程度つらい思いしながらやっていくわけですけど、そこまで持たない。いまはシステムが変わりましたが、その頃は学校に行った後一年間インターンをして、それから国家試験だったんです。美容師と比べると、理容師は刃物を使うので、なるのが難しいんですね。

◆インターンとして働きながら腕を磨くことが受験勉強にもなる。多くはないかもしれないけど給料ももらえて、いいシステムだと思います。

◇そうです。

◆でも、お客さんにしてみれば、ご主人に切ってもらいたいのでは?

◇たいていの人は、「いいから俺でやれ」って言ってくださいました。顔だって、「剃らないと上手にならないだろ」って。何度も何度もザクザク切るのに、それでもやらせてくれましたよ。80歳、90歳近い人が年中それやらしてくれました。

◆常連客もインターンが一人前になるために手助けをしてくださるんですね。

◇はい。それでもね、ちゃんと仕上がらないうちにいなくなるんです。

◆たとえばどんなふうにですか?

◇住み込みだと狭いから、この先のバスの車庫の近くにアパート借りてやったんですよ。あるとき出てこないので行ってみたら、もぬけの殻。

◆何も告げずに逃げてしまう。

◇似たようなことがたくさんありましたよ。無理に引き止めても仕方がないので、そんなものかなあと思うようになりました。

◆しかし、そうなるとご主人だけでは手が足りませんね。天宮さんは何を? 髪を洗うだとか?

◇いやいや、最初はそうでしたが、数年後からは刈る事まで全部やってました。免許を取るのが遅くなっただけなんです。

◆お客さんは大勢いるのにインターンが長続きしないのを見かねて?

◇当初は、「部屋」から雇ってました。知ってます? 飲み屋さんで働いてる板前さんたちの部屋があるように、お仕事のない人がそこで集まってお声がかかるのを待ってる部屋があるんです、床屋にも。

◆流しの職人みたいな人ですか?

◇流しじゃないんです。

◆あ、人材派遣ですね。週末などの人手が足りないときに、臨時の方を斡旋してもらうシステムがあったと。

◇そうそうそう、斡旋。部屋っていうんですけどね、部屋に今日2人お願いとかいって、電話して決めるんです。だけどどういう職人が来るのかわからないのです。

◆賭けですね。

◇たとえば一回来てもらって、腕を見て、あ、この人はなかなか使えるなって思ったら、次からは、「誰々さんお願いします」って頼みますが、たいてい腕のいい人は別口が入っているのね。

◆どこも同じことを考えるでしょうから。

◇このシステムは、不満があれば断っていいんです。最初は私、お断りなんかできなかったんですけど、ろくな仕事できないのにお金だけ持っていかれるのもねえ、キツいじゃないですか。「一時間したら帰っていいです」とか平気で最期には言えるようになりました、ふふふ。

◆だいたいの腕はハサミの使い方を見ればすぐわかる。

◇それもありますし……、でもね、ああやって人を使ってみると、仕事のできる人は、私が他の事やってたらね、「あ、いいです奥さん、僕やってあげますよ」って言ってね、手が空いている時はパッパと動き早いです。で、そういう人はいずれ店を持って独立していきますよ。

◆使えない人というのはどういう?

◇言われないとしない、お客さん来るまでそこでじっと待ってる。そういうのはダメです。そうそう、飛び込みで、「使ってくれませんか」とやってくる職人さんもいました。「どの辺までできるの?」と聞くでしょ。このときに、「すいません給料いくらくれますか?」、最初からこれ言ってくる人はたいてい腕がダメです。「給料はいくらにしたらいいかね」って尋ねたとき「すみません、仕事見てから決めてください」って言う人はバッチリ仕事ができる人です。これは間違いないですよ。

◆部屋は優れたシステムですね。個人店は人手不足がまかなえ、何らかの事情で登録した人も理容師の資格を使って仕事を得られる。資金をためて店を開くこともできるわけだ。

◇でも今はどうでしょう、あるのかな。それで、しょっちゅう頼んでいたんですが、その人たちに払うお金の方が売り上げより多くなってね、ははは。「お父さん、私がお店に出たら整うんだったら、出てあげてもいいよ」って。そのかわり家の中の事は、どっちか手が空いたほうがする。「そうしてくれるならいいよ」って言って、それでお店に出るようになったんです。

◆そういう経緯だったんですね。

◇ロット巻きとかそういうのはお手のものでしたからね。昔はパーマのお客さんもいっぱいいましたから。

◆アイパーって流行りましたよね。

◇やりましたやりました。でもあれは相当毛が焼き切れるんです。あとパンチパーマとか。

◆出た、パンチ!

◇アイパーとパンチパーマは違うんです。パンチパーマって言うのはね、挟んだらグリグリっと巻いてね、クリンとするのがパンチパーマなんです。アイパーってのはね、すーっとした毛をね、薬をつけて(熱いコテで)こう挟むでしょ、コキンとこういう風にね、折るんです。折った癖を付けるんです。だから折った癖→折った癖→折った癖っていうようになるんです。強すぎると髪がポポンってとれちゃいます。焼けきれちゃう。そういう事です。ただ曲げればいいってもんじゃないの。ちょっと今の説明じゃ分かりにくいわね!!

 

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◆他に流行した髪型は?

◇慎太郎刈りとかね、慎太郎刈りはけっこう流行りましたよ。

◆スポーツ刈りとは違うんですか?

◇慎太郎刈りは、スポーツ刈りにしてここ(前髪)のところをちょっと残すんです。

◆髪型で、これが難しいというのは何ですか?

◇スポーツ刈りです。ごまかしが効きません。あなたくらいの髪とか、私くらいの髪とかね、長くなればなるほど、少々切り損じてもわかりません。かぶせれば、ごまかしがききます。だけど、スポーツ刈りは"線"で刈ります。

◆線で刈る。髪がかぶさるところがなく、ラインが丸見えになるということですね。

◇さっきの職人さんの腕を見る話で言えば、ポイントになるのは髪の流れ、流れができるかどうかなんです。全部の長さが上手に切れてるときはね、髪の流れが波のようにできる。で、スポーツ刈りはその最たるもの。髪の重なりがなく、全部線。ラインが崩れていたりポコンとなっていたら目立ってすぐにわかります。ヘタな理容師がやるとすぐわかる。一番気を使いますね。

◆バリカンを使わずやるんですか?

◇「使って」と言う人には使いますが基本は(手で刈る)。バリカンは13ミリから0.1ミリまで。0.1ミリは剃ったようになります。

◆野球部などはもう少し長いですね。

◇だいたい2ミリですね。…頭は洗いますか? それとも、洗わないで顔だけっていうのあるんですけどそれにしますか?

◆あ、洗ってもらっていいですか。

 

喋っている間も、手は動き続けていた。気がつくと、細かいことは注文せずとも前後左右、過不足なく整えられ、天宮さんの言う、流れができている。大ベテランが自由にハサミを使えば、50代男のスタンダードが出来上がるのだ。洗髪になっても話は止まらない。今日は特別というのではなく、和やかなコミュニケーションを絶やさない気遣いが身に付いているのだと思う。

 58歳で免許を取ったのは、ご主人が体調を崩して入退院を繰り返していた頃で、ここは自分が中心になって店をやらなければとの思いからだったそうだ。息子より若い子たちと机を並べ、大変だったけれど人生で最も充実した日々だったと笑う。

 

◇田舎の母との約束で、東京で理容師になって帰ってくると言って出てきたのですからね。店を休むこともできないので、通信教育を選びました。普通課程の学生たちが夏休みや冬休みに入ると、スクーリングで実技・学科の授業を受けました。私が卒業した後に通信課程はなくなりましたので、ここでもついていましたね。

 

 9年前、ご主人がなくなってから、昌平理容店は天宮さんがひとりで切り盛りしている。息子は社会人になり、無理して働く必要もないのだが、この仕事が好きなのだ。膨大な時間をかけて作り上げられた、店という空間にいることが、もっとも退屈知らずでおもしろい時間の過ごし方なのである。

 

◇働いている時間が大好きなんです。友人には変わった人だと言われますが、お客様とのコミュニケーションでいろんなお話ができるし、知らないこともたくさん教えていただけますからね。

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お客さんと共に歳を重ねる

 

◇息子がね、「お母ちゃんのカラダの続く限り、お店はやってた方がいいよ」って。もちろんボケ防止のためにもって息子は言うんでしょうけど。わかってますよ、うちは古いからね。昔からのお客さんが多いから、皆さんをお見送りして、それで辞めますって。そういう気持ちでいます。いやぁ、だけど本当によくしていただいてます。生きてるって、自分で勝手に生きてるように思ったら大間違いだなって、最近はつくづく思いますね。みなさんに助けられて生かされてるんだなって。

◆お客さんの髪がだんだん減っていったり、白くなっていったり、変化は当然わかるわけですよね一番。子供の頃から知ってて、いよいよ社会人になったときなど感慨深いでしょうね。

◇ええもう。生まれたときから知ってる子もいますから。一番嬉しいのはね、そういう子が「おばちゃんいくつになっても辞めないでよー、よその店に行った事ないんだから」と言ってくれること。あと、私は四国の人間なので、四国や九州の子はわかるんです。それでつい話しかけてね、仲良くなったお客さんもいっぱいいて。そういう、いまでは立派な社会人になった方が、「高校出てこの近くに就職して来た頃、僕は初めておばちゃんのところに切りにきて、それからどこへも行った事ないんだ。だからおばちゃん、いくつになっても辞めないでよ」とかねえ。励みになります。

◆同郷だと距離が縮まりやすいんですね。

◇あんた九州でしょって聞いたら、おまわりさんだったこともありました。顔剃りますか?

◆はい。

◇いまは立川のほうに移られたんだけど、そのおまわりさんには良くしてもらいました。主人が元気なころから来ていただいていました。「お父さん大丈夫ですか?」と何度も声をかけてくださいました。主人亡き後も、私が体調を崩してしばらく休養したり、地震が来た時にも、「お母さん、大丈夫か」と気を使ってくださって、本当にうれしくて涙が出ましたよ!! 本当に幸せを感じましたね。私は残り少ない人生ですが、このおまわりさんのことは一生忘れません。ありがとう、ありがとうと何度言っても足りない程の気持ちです。◆みんなは、お店は開いているるのが当たり前だって思ってるんですね。

◇そういう事です。私休むの嫌いだから。ふらっとくる人もいますしね。

◆急に切りたくなって?

◇いえ、遊びに。仲のいい芸能人の奥さんとか、「ちょっと聞いてくれる?」なんて、朝までここでずっと話していくし。仕事ではないけれど、そういう感じがあるんですよね。由利徹さんは近所にお住まいだったんですけど、しょっちゅうお父さんを訊ねて来ててね。たいていは誰かがついて来るんですけど、その人がいないときは仕方なく一人で来て、窓の向こうで(酒を飲む格好で)手招きする。「ダメだ由利さん、まだ仕事中だから」「いいじゃないか」なんて言って、にっこり笑ってましたよ。

◆いい話です。

◇(顔ふきタオルを差し出して)これ一回しぼってみます?

◆え? あ、アチチッ。こんなに熱いんだ。

◇ずっと熱湯消毒してますからね、ゴトゴト煮て。手を冷やしておいて、こうパッパッと絞ることが必要なんです、ギューっとやったら火傷します。お父さんがいるときはお父さんが出してくれたんですが、いなくなってからね、私では蓋を摘めないんです。どうしたらいいかって考えて、氷を挟むトングを利用する事にしました。これだとなんとか扱える。いま使っている蒸し器は、おじいちゃんが使っていたもの。もうそろそろ寿命がくるんです。

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◆年代物ですもんね。

◇椅子でも前流しでも蒸し器でも電気でもサインポールでも、壊れたら仕事になりません。壊れたらパッと新しいのを入れなきゃいけないから、それだけのお金はちゃんとプールしておかなきゃいけません。仕事したからといって、使いたい放題使っていたんでは、いざという時、困ってしまうのです。

◆息子さんは後を継がなかったと聞きました。ということは、天宮さんがもういいやと思ったらここはもう終わり?

◇はい終わりです。

◆聞いていて思ったんですが、天宮さんのまわりには、お客さんとお店の人の関係なんだけど、でもそれだけとも言えないような人間関係がすごくあると思うんです。

◇それは私に品がないからでしょう。地位とか関係なく、会話で気になることがあれば質問攻めにしたりね。当然、相手を見てのことですけれど、いろんな話をするのが好きなんです。

◆理容店はもともとそういう場所だったわけですから。

◇さっき話した、年中ね、インターンに顔そりさせてくれた今では90歳近いおじいちゃんは昔、船に乗ってた人なんです。その人はね、今でも来てくれるんですよ。頭洗うときにさっき使ったでしょこれ(注:プラスティック製で、目の粗いタワシのようなもの)。これでね、カリカリカリカリってブラッシング……ほとんど毛はないんですよ。脇に少しだけなんですけど、会いに来てくれる。そのかわり、昔からお父さんが知ってる人だから、冬なんか寒そうだったらね、「お父さんが使ってたマフラー、きれいに洗濯してるから使って」とか、「この洋服着たらどう?」とか言ってあげるんです。「本当にいいの? 嬉しいな」って言うからね、「使ってくれたら主人も私も嬉しいよ」って。そういうつきあいがありますね。

◆いまは4つある椅子のうち、ふたつだけ使っているんですね。

◇立ち仕事がちょっとキツくなってきたから、しきりをして、お客さんがいないときに足を高くして奥で休みたかったんですけど、工事をすると大掛かりになってしまうので、奥の2席はそのままにしてあります。自分の足でしっかり立っていられて、目がしっかり見えて、手が動く間はいつまでもやるつもり。でも、こないだ職業病があるのに気がついたんです。

◆腱鞘炎?

◇腱鞘炎はもうずっとですよ。腰が痛くなったんです。長年の仕事で筋肉のバランスがとれなくなってしまっているんですね。考えてみれば、髪を刈るときはだいたい、左側に寄った姿勢でやってるんです。右利きだからシャンプーもいつもこう(右足に重心をかける)。他のことをするときも、カバンを持つときも右側ばかり使ってきたから。カイロに行こうとも思ったんですが、息子から言われまして。お母ちゃんも歳だから、カイロに行ってゴリゴリやられたら、壊れる可能性の方が大きいと思います。この歳で壊れたら元に戻すのは大変ですよ。そういうところに行くよりも、まずしなきゃいけないのは、心と体のリラックス。だから、足を伸ばしてのんびりと、お風呂につかりなさい、それにはお母ちゃんのところのお風呂はダメです。足を曲げて入らなきゃいけないから、だからうちのお風呂に入りにくるか、銭湯に行きなさい、って。

◆疲れたら来ていいよという、息子さんなりのいたわりを感じます。

◇はい、それをずっとやってます。あとは、ちょっと太り過ぎですから、テレビ見たりしながらながらそれ(歩く健康器具)を踏んでるんです。

◆生涯現役を貫くためにもお大事にして下さい。じゃあ会計を。

◇お会計3700円です。ちょっと待ってください、一万円のお預かりです。

◆その現金入れは年季が入ってますねえ。

◇お父さんの頃からずっと使ってます、壊れたところは直しながらね。

◆大事にされているんですね。

◇ほらもうボロボロ。あはは、珍しいでしょ、いまどきこんなの持ってる人いないんじゃないですかねぇ。

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現在、昌平理容店は完全予約制。切ってもらっている間にも、高円寺にきたから寄ったという昔なじみが夕方からの予約を入れていった。ぼくが終わるなりやってきた若い男は、子どもの頃からの馴染み。みんな、天宮のおばちゃんに会いたくて、話したくてわざわざやってくるのだ。

 若い頃と比べたら疲れがたまりやすくなっている。腰痛もラクじゃない。でも、こういう客に支えられていれば、働くことそのものが何よりの楽しみになる。人は必要とされるからがんばれるのだ。

 天宮さんがハサミを置くそのときが、一日も先でありますように…。さっぱりと短くしてもらった髪に帽子を乗せ、ぼくは古ぼけて味のあるドアを開けて外に出た。

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★プロフィール

天宮文代(あまみや・ふみよ)

1943年、愛媛県宇和島生まれ。もともと美容師をめざし、地元の美容院で働いていたが、方針転換。理容店を開こうと上京する。結婚後、ご主人のお店であるこの「昌平理容店」では、もうかれこれ45年ほど働いている。

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