ウォーキング・デッド


info:2016.01.25 ABOUT、STORY、CHARACTERS Update!

INTERVIEW

ロバート・カークマン インタヴュー

INTERVIEW PART 02

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【!】第一章のラストで、少年が大人の人間を撃ち殺します。「子供がひとを殺す」というのは、もしかすると「子供が殺される」ということよりも、ある種の人びとにとってはショッキングなのではないでしょうか。特にアメリカでのそうした表現に対する風当たりは強いように想像しますが。
カークマン
もちろん! 物語の中で起こるありとあらゆることに関して、読者からはいろんな手紙を受け取るよ。でもぼくにとってそれは、読者がきちんと物語の中に入り込んでいるってことで、仕事がうまくいっていることの証なんだ。
 「あの登場人物を殺したな! 大好きだったのに。もうあんたなんか大嫌い!」と言われるほどの誉め言葉はないよ。(読者の批判を)そういう風に受け止めるのが、この職業においてはいちばん自然な事なんだ。読者たちを登場人物に感情移入させ、深く惚れさせるのがぼくの仕事なんだからね。
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人間の中には、暴力を希求するものが最初から存在しているのではないかと思います。その事実を直視しないフィクションは、どんなものでも弱いと感じます。『ウォーキング・デッド』では、その点についても探求されていますね。ちょうど作中リックが「正しさと合法性」が常に重なり合っているわけではない、と語っているように、現実の世界においても、我々は暴力を必要とすることがあると考えますか? 私自身は、リックがやむを得ず用いる暴力について、完全に共感しています。
カークマン
暴力について言えば、物語世界の中で経験するっていうのが、いちばん健康的だよね。そうすれば、現実世界で経験する必要性を感じることもないだろうしさ。
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このシリーズの初期段階で気になることのひとつは、主人公リックの奥さんであるローリの「ビッチ」性です。重荷であると同時に生きる理由でもあるという意味で、リックは自分が生きている限り決して逃れることができません。とはいえ、家族というものは、だれにとってもそういうものなのかもしれませんね。
 家族持ちの男を主人公に据えようと考え付いたとき、その妻がこういうキャラクターになるという予感はありましたか?
 ちなみに、かつて映画監督のM・ナイト・シャマラン(『シックス・センス』、『サイン』、『ハプニング』など)にインタヴューしたとき、彼の作品に登場する妻たちもかなりのビッチぞろいでしたので、そのことを指摘したことがあります。彼の答は、自分は若くして結婚したから結婚のいろんな局面を経験してきた。その中には当然、良いときも悪いときもあるから、その中からいろいろな局面を取り出してきて使っているだけなんだ、という、少しはぐらかされたような気分にもなるものでした。あなたの場合もそう(ご自身の体験に根差している部分がある)なのでしょうか?
カークマン
ローリほど誤解されている登場人物はいないと思う。物語の中で、たしかに何度かビッチ性を発揮する瞬間があるよ。でも、母親としてああいう状況を実際に経験しているんだとしたら、彼女の行動は完璧に正当化されると思う。多少ビッチっぽくなるのも、仕方ないんじゃないかな。
 作中では、幸せなカップルも不幸せなカップルも描いてきたつもりだよ。ぼくの目標は、自分が個人的に経験した範囲を超えて、登場人物たちの人格や行動の可能性やダイナミズムを最大限に探求することなんだ。
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話がそれますが、本書第三章で、リックがひとりで仲間たちのもとを離れてバイクで移動するシークエンスがありますね。あの画を見て、『大脱走』のスティーヴ・マクイーンをちょっと思い出しました。念頭にあったりしましたか?
カークマン
あの映画は観たことないんだよ。恥ずかしいけど……ほんとうなんだ!

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